昭和50年(1975年)の夏、紀勢本線を名古屋側から往復して、海水浴をしながらDF50や気動車が活躍する姿を撮影した。特急列車「くろしお」は当時全国で見られた先頭車キハ82形の気動車特急だったが、当時ここでしか見られないキハ81が先頭に立つ編成もあり、名古屋〜天王寺間を走る列車番号1D、2Dに限定して運用していた。
 また有田鉄道は木材やミカン輸送のために大正4年に開業した私鉄で、紀勢本線の藤波駅で国鉄線に接続していた。元国鉄のキハ07形2輌が有田鉄道で1970年から76年まで運行していたが、この写真は7月29日藤波駅で有田鉄道のキハ07が停車しているところを先頭車キハ81の1D「くろしお」天王寺行きが通過する場面である。

 
有田鉄道は藤波と金谷川の間で営業していたが、一部の列車は藤波から隣の湯浅まで紀勢本線へ乗り入れていた。国鉄のキハ07形は1970年に最後の区間での運行が廃止となったため、この時点では国鉄線上を走る最後のキハ07となっていた。(湯浅駅) 7月29日午後、国鉄線に乗り入れて湯浅駅に停車していた2輌連結のキハ07形207と206。紀勢本線に乗り入れるこの列車に乗車して隣の藤波駅で下車し、上の特急「くろしお」の通過場面を撮影した。
 

   
湯浅駅を発車し藤波に向かうキハ07形207(7月26日)。もともと自動車のマニュアル車のようにクラッチとギアチェンジで走行する機械式気動車だったが、戦後に製作されたグループのうち15輌がトルクコンバーター方式に改造されキハ07の200番台となった。   有田鉄道線内を往くキハ07 形207(7月29日)。
この鉄道のキハ07形は翌1976年5月まで使用されたが、1982年9月に廃車となり1983年3月に解体された。
 

 
名古屋〜天王寺間を走る「くろしお」は名古屋発が下り列車で、紀伊田辺西方の南部〜岩代間を2D名古屋行きが往く。岩代から少し南部側に戻った海岸に沿って走るこの辺りでは、遠くの海岸線を走る列車が見えてから3〜4分後にその列車が目の前を通過する。(7月26日)   キハ81形は1969年から秋田機関区配置で特急「いなほ」「ひたち」に使用されていたが、1972年10月に日本海縦貫線の電化完成に伴いこれらが電車化されたため、和歌山機関区へ配転となり「くろしお」で使用されることになった。紀伊勝浦の隣の湯川駅を通過する1D天王寺行き。(7月30日)
 

   
キハ07形はその後ほとんどが廃車解体されてしまったが、原形に近いキハ07の保存車輛を今でも門司港駅前の九州鉄道記念館で見ることができる。ここに保存されているキハ07形 41は、九州の宮原線での運行を最後に1969年に廃車となり、豊後森機関区、その後大分運転所で保存されていたが、2003年にこの記念館に静態保存された。   車内はニス塗りの板と青いモケットのクロスシート。この気動車は1937年の製造当初はガソリンエンジンを搭載していたが、1952年にディーゼルエンジンに改造した。(2016年7月8日撮影)
 

   
キハ81形は国鉄で最初の特急用気動車として開発され1960年に上野から常磐線経由青森行きの特急「はつかり」としてデビューした。この写真は大阪の弁天町にあった交通科学博物館に展示されていた頃のキハ81 3号車の姿。隣はC62形26号機。(2002年9月14日撮影)   交通科学博物館は2014年4月に閉館し、2016年4月に開館した京都鉄道博物館に展示場所を移動した。本館に入ってすぐの500系新幹線や寝台電車581系の先頭車が並ぶ列の後ろに展示されている。(2016年7月10日撮影)
 
     
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南紀の気動車 キハ07とキハ81