青梅鉄道公園は1962年に日本の鉄道開業90周年記念事業として開設された公園で、蒸機8輌を含む歴史的車輛が屋外に静態保存されている。2013年9月に初めてここを訪ねてみた。 青梅駅から歩いて行くと、急な坂道を登って行かなければならない。記念館の中にはHOゲージの模型レイアウトや展示室、売店などがあるが、青梅線の奥多摩から先の廃線跡の現在の様子が写真で紹介されていた。 記念館の右手に5輌の蒸機が展示されているが、手前にあるのが通称B6形と呼ばれている2120形式の2221号機。1905年というから明治38年の英国ノースブリティッシュ社製。キャブの窓の曲線は英国製らしさを表現している。記念館の階段を昇ると上から見下ろすことが出来た。 |
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B6の斜め後方に展示さているのは、1897年(明治30年)に英国のべイヤーピーコック社で製造された5500形式5540号機。今の東北本線が開業した頃の日本鉄道で175号機として活躍し、1906年の国有化後、1909年に5540号機に改番した。 | 最後は北海道で使われていたが、1962年に廃車となり、青梅鉄道公園で保存されることとなった。 先輪2軸、動輪2軸の足回りで、日本で活躍した蒸機の中でも独特の風貌をそなえた機関車である。 |
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5500形の前にいるのは日本の鉄道創業時に使われた10輌の蒸機の内の1輌で、当時は3号機だったが1909年に改番されて110形式110号機となった。1871年(明治4年)に英国ヨークシャーエンジン社で製造されたもの。 | 1923年には現役を退いて大宮工場に保存されていたが1962年に青梅に保存展示さることとなった。鉄道記念物に指定されているが、残念ながらボイラーの右側は内部の構造を見られるように切断されている。 | |||
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記念館左手の敷地のはずれに、E10形式2号機が展示されている。日本の国鉄で最後に設計製造された蒸機で、この2号機は1948年(昭和23年)に汽車製造株式会社で製造された。奥羽線、肥薩線、北陸線などの急勾配区間で使われたが、最後は米原〜田村間の交直接続区間運転に配置され1962年に廃車となった。 | 動輪5軸の蒸機は他の国にはたくさんあるが、日本製で日本で使われたのは唯一この形式のみである。 もともと5輌しか製造されなかったため、現存するのはこの2号機のみで貴重な存在である。 ボイラー前面周囲の曲面はC57やC59以降と同様のデザインで、日本の近代蒸機の特徴の一つである。 |
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記念館右手のB6の後ろに、大正生まれの8620形式トップナンバー8620号機が展示されている。旅客列車用で初の国産標準機関車の名機で、17年間に亘り687輌が製造されて全国で活躍した。 | この形式の初期の車輛はキャブの下の白線部分が曲線を描く設計になっていて、「S字キャブ」と呼ばれている。 この8620号機は1914年に汽車製造株式会社で製造され、九州と四国で44年間活躍した後、1958年に廃車となった。 |
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8620号機の後ろに、同じく大正生まれの9600形式9608号機が展示されている。こちらは貨物列車用で初の国産標準機関車で、14年間に亘り770輌が製造されて全国で活躍した | この形式も初期の車輛は「S字キャブ」となっていて優雅な曲線を描いている。9608号機は1914年に川崎重工で製造され、関西地区を中心に1958年まで使われていた。 | |||
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記念館右手の屋根の下に5輌の蒸機が展示されているが、B6だけは上から見下ろすことが出来る。 | 記念館左手の屋根の下にはクモハ40型の電車と、C11とE10の2輌の蒸機が展示されている。 | |||
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日本の蒸機と言えばやはりD51。記念館の左側に隣接して鎮座している。 | C11形式のトップナンバーは1932年汽車製造株式会社製。近畿地方で使用された後、青梅に搬入され保存された。 | |||
青梅線で走っていた電車のクモハ40形式40054号車は、1935年製で、1輌だけで運行できるよう前後両側に運転台がある。 | かつて通勤電車と言えば「チョコレート色の国電」だったが、今その姿を見られる場所は限られている。 | |||
青梅鉄道公園で保存されている唯一の電気機関車は、晩年に青梅線・南武線を走っていたED16形式のトップナンバー。 | この形式の機関車は上越線や中央線で活躍した。この1号機は1931年製で、1980年に廃車となったが準鉄道記念物に指定されている。 | |||
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