旭川機関区に配置されたC55が、宗谷本線の旅客列車を稚内まで牽引していた。259.4kmを約8時間かけて走るというロングランだった。 稚内行き321列車は、30号機が牽引していた。当時旅客列車は、稚内まで1往復と名寄まで1往復をC55が牽いていた。(1973年1月18日) |
旭川行き324列車を牽く50号機(名寄駅) |
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1973年5月23日に訪ねた時も、C5550が324列車を牽いていた。(紋穂内〜初野間) | 5月25日名寄駅で交換する50号(左)と30号(右の321列車稚内行きを牽引) | |||
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弘済会の道内時刻表は、青森から青函連絡船に乗ると船内の売店で売っていた。 蒸気機関車が牽く列車には汽車マークがついていた。 |
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札幌からの夜行列車「利尻」で朝稚内駅に着き、南稚内と抜海の間の撮影地で324列車を待った。4輌の編成をC5550が牽いて疾走して行った。(1974年3月18日) | ||||
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紋穂内〜恩根内 324列車 C5550 1974年3月12日 雪に埋もれた 音威子府の駅名板 |
紋穂内〜恩根内 321列車 C5787 1974年3月12日 この頃C5787が旭川機関区に配置され、C55と共通運用となった。 |
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1974年3月20日、名寄駅で発車を待つ旭川行き324列車。(この日交換する321列車はDD51が牽いていた) C5787号機は、かつて福知山機関区に配置されていて、時々山陰本線の京都までの列車を牽引していたが、北海道で再会するとは思わなかった。 |
1968年11月18日、山陰本線嵯峨駅を発車するC5787。通常DF50が牽く列車を、この日はC57が代わりに牽いていた。 | |||
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