北海道 道北の9600
今では道北の鉄道と言えば、旭川から稚内まで延びる宗谷本線だけになってしまったが、かつてこの辺りには多くの支線があった。天北(てんぽく)線もそのひとつで、宗谷本線の音威子府から東へ別れ、オホーツク海に面した浜頓別を通って、南稚内で宗谷本線に合流していた。   小石〜曲渕間に峠がある。小石駅から線路に沿って歩くとS形カーブがあった。
9600が牽引する1791列車が白煙を上げながら登ってきた。
(1974年3月18日)

<鉄道弘済会 道内時刻表昭和49年3月号>
 
     
峠の反対側に出て、見晴らしの利く所まで登ってみると、遠くに利尻富士も見えた。曲渕から登ってくる1792列車が来た。   9600が牽引する列車は、牛歩のようにゆっくりとした足どりで峠へ向かって行った。
 
     
名寄からは東へ名寄本線が分岐していた。興部(おこっぺ)、紋別、中湧別を経て遠軽まで138.1kmあり、遠軽で石北本線に接続していた。一ノ橋〜上興部間に峠があり、この間だけ貨物列車に補機が連結されて9600の重連運転となっていた。   上興部には石灰石の専用線があり、峠越えの補機の合間に、9600は貨車を山へ逆向きで推進していく仕事もしていた。上興部の給水塔の横で佇む49648。(1974年3月20日)
 
     
 
上興部から峠へ向かう1690列車(1973年5月26日)
補機の9600は一ノ橋に着くとすぐ、上興部に単機回送で戻っていた。一ノ橋から来る列車に補機が付くときは、背中合わせの重連になっていた。

貨物が少ない日は補機が付かない時もあった。1690列車
(1974年3月20日)

上興部駅のスタンプは9600重連の図柄


 
     
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