日豊本線宮崎周辺には、C57を撮影するお立ち台が何箇所かあった。日向沓掛〜田野 1590列車C579 | 左と同じ地点でC57199(4次形)が牽く1590列車(1974年1月10日、左の写真は13日) | |||
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日向新富〜佐土原間の一ツ瀬川橋梁を、535列車が南下する。朝日を浴びたシルエット。(1974年1月13日) | 一ツ瀬川橋梁を渡る4589列車。C57は貨物列車も牽いていた。(1974年1月9日) | |||
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南日向〜美々津間の耳川橋梁を、臨時急行「高千穂51号」がC57に牽かれて通過して行った。 (1974年1月9日) |
急行「日南3号」は宮崎〜都城間をC57が牽引したが、グリーン車が連結されていたため人気があった。田野〜門石(信号場) (1974年1月13日) | |||
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九州の蒸気機関車の一部には「門鉄形デフ」と呼ばれる独特のデザインのデフレクターが装備されていた。この日537列車を牽いて来た重連のC57(196+9)は両方とも門デフだった。(1974年1月9日) | 1月13日も、日向新富〜佐土原間の一ツ瀬川橋梁で537列車を待っていると、C57112とC57117の重連はどちらも門デフを装備していた。朝陽が機関車のサイドに当たり、ナンバープレートが光った。 | |||
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昭和49年1月5日新橋駅発行の九州均一周遊券(B券)。 「国鉄」という文字がなくなってから30年経った。 |
日本一運転区間の長かった寝台特急「富士」。大隅大川原〜北永野田をDF50に牽かれる東京行き8列車。(1973年5月3日) | |||
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