五能線の8620
 奥羽本線の東能代駅で分岐し、日本海に沿って海岸線を北上して、弘前に近い川辺駅で再び奥羽本線と合流する五能線。昭和40年代には8620型の蒸気機関車が旅客列車を牽いて活躍していた。ここには旅客列車に貨車を併結する混合列車も運転されていた。

 1972年10月にここを訪ねた時は、ダブル8/ゼンマイ駆動の8ミリカメラで、走る列車の姿を記録した。スチール写真は撮っていなかったので、8ミリフィルムから静止画として取り出した写真を使って当時の様子を紹介する。画質がかなり落ちることをご了承願いたい。

深浦を出て広戸に向かう混合1737列車が、海岸の岩場を左手に見ながら駆けていく。
 
     
 
 東能代から沢目までの朝の区間列車は、オハ61系の客車を9輌も連ねた長い編成だった。朝陽を受けて金色に輝く稲穂の向こうを疾走して行った。(225列車)
 八森を出た722列車。千分の20の上り勾配をゆっくり登ってきた。朝陽が後ろの山を照らしているが機関車はまだ日陰。
   沢目折り返しの区間列車(228列車)は、8620が逆向で牽引していた。機関助手にタブレットが手渡されるともうすぐ発車だ。
 9輌の長い列車を8620が牽き出して、東能代に向けて発車して行った。
 
     
 
艫作(へなし)〜横磯間を走る混合1730列車。この撮影地点は背丈より高いススキで一面被われていた。   深浦〜広戸間は、海岸の防波堤の上を線路が続く景勝地。小さな峠に向けて黒煙を噴き上げて行った。(混合1730列車)
 
     

深浦から鯵ヶ沢に向け、朝陽を浴びながら走る混合1725列車。

  深浦を出た混合1730列車が、短いトンネルに進入した。
 
     
風合瀬(かそせ)から大戸瀬に向けて海岸段丘の上を走る区間は見通しが利く。混合1737列車がススキの穂を揺らしながらゆっくり登って来た。(右の写真も同じ地点)   遥か先の岬を回って姿を現した列車が、やっと眼前を通過した。海岸に沿って走るとは言え、線路はアップダウンを繰り返していて、上りにかかると列車速度も落ちる。
 
     
 ダブル8の8ミリとは、16ミリシネフィルムを流用して、片道2分間、途中で反転して往復4分撮影できるアマチュア用8ミリフィルムで、現像に出すと縦に2本に切り分け、1本の8ミリフィルムにして仕上がってきたもの。
 ゼンマイ駆動のカメラは、いっぱいに巻き上げても連続撮影時間が30秒程度しかなかったので、長いシーンを撮影するには途中でゼンマイを巻き直すしかなかった。
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