ミャンマーの首都は英国領だった19世紀終わり頃からヤンゴンだったが(当時の名称はラングーン)、2006年10月に軍政権が国の中部地域のネピドーへの遷都を宣言した。
政府関係機関はその前年からネピドーへの移転を始めていたが、ミャンマー国鉄本社もネピドー駅前に移転した。

駅前には広大な敷地があるが、2015年10月に訪問した時に、そこに1輌の蒸機が静態保存されていた。
右後方の円形の屋根の建物がネピドー駅である。
 
     
 
ミャンマーの鉄道は軌間1000mmのメーターゲージであるが、第二次世界大戦中、日本軍制下では日本の車輌がゲージを改造した上で移送されて使われていた。終戦時までに多くの鉄道車両が破壊されたため、戦後多くの英国製の蒸機がインドから移送されて使われるようになった。   このYB形式もインド鉄道のメーターゲージ区間で使用されていた標準形式のひとつで、軸配置は前輪2軸、動輪3軸、後輪1軸のいわゆるパシフィック形配列である。
この534号機は1947年に英国のヴァルカン・ファンドリィ社で製造された。動輪直径は57インチ(1450mm)。
 
 
赤いカウキャッチャーは中が透けて見えない鉄板製だった。   煙突は長すぎるようだが、良く見ると通常の化粧煙突の上にパイプが継ぎ足されている。展示の時に載せたのだろうか。
 
     
  ネピドー駅のコンコースは天井が高く巨大な空間であるが、その一角に小さな蒸機が展示されていた。キャブの横に金色の文字でA形1号機の表記があった。
この機関車は1877年製で重量は18t、動輪直径は42インチ(1070mm)である。
ミャンマーの鉄道創業は英国の植民地だった1877年であるから、この蒸機はその時に使われたもので、貴重な1号機関車ということになる。オリジナルであれば、よくこれまで保存されていたものだ。
     
 
 
 

博物館のような保存状態だ。
  掃除婦が床を水拭きしていた。右の階段を昇ると、各ホームへ降りていく跨線橋につながっている。
 
   
 
ヤンゴンはミャンマー最大の都市で経済の中心地、人口は500万人を超えている。ヤンゴン駅の構内は広いが、その中にタンク式の蒸機が1輌、短いレールの上に鎮座していた。   均整のとれた姿は英国べイヤー・ピーコック社で、1916年に製造されているから100年前の機関車だ。3軸の動輪は直径48インチ(1220mm)。
 
 
 
 
 
ディーゼル機関車が牽く混合列車がネピドー駅に到着した。最後尾に客車を1輌連結していた。   ネピドー駅の前庭では色々なオブジェを見ることが出来た。これは蒸機の給水ポート。大きな駅に設置されていたモノを移設したのだろう。
 
   
こちらは蒸機の動輪と連結器を並べている。中央の動輪にはロッドをはめ込む軸が車輪から飛び出しているところが見える。   ミャンマー北部には日本の餘部鉄橋のような高いトラス橋脚の橋があるが、それをモチーフにしたオブジェが庭園に造られていた。
 
     
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ミャンマー 緑色の静態保存機