ドイツ ブロールタール鉄道
ローレライの岩や古城が点在するライン川下りは、マインツからコブレンツまでが有名だが、コブレンツから更に30km程下流の左岸にブロールの街があり、ここを起点としたメーターゲージ(軌間1000mm)の保存鉄道がブロールタール鉄道だ。
終点のエンゲルンまでの延長は17.5km。
2001年8月下旬の週末に、ここを訪ねる機会があった。
  当時、隔週の日曜日に蒸気機関車が牽く旅客列車が2往復運転されていた。牽引していたのは元ポーランド国鉄で使われていた動輪4軸の5号機。
8月25日(土)朝、フランクフルト空港でレンタカーを借り、ライン川沿いに走って午後にブロールの駅構内に着くと、翌日の運転に備えて石炭を積み込んでいた。
 
     
この日の宿は、車で走りながら見つけたパークホテル。ブロールから少し上流のアンデルナハの街外れにあり、朝食付きで110ドイツマルクと手頃だった。部屋の窓から見渡せるライン川には、貨物船や遊覧船がひっきりなしに往来していた。   マインツからボン辺りまではライン川の両岸に沿ってドイツ鉄道の本線が走っている。ホテルは左岸にあって、こちら側の本線にはICE等の優等列車が運転されているが、対岸の本線をローカル列車と貨物列車が走る姿を見ることができた。
 
     
  土曜日に見た列車は、ドイツのコッペル社1965年製のディーゼル機関車が重連で牽引していた。
この鉄道の売店で売っていた5号機関車のイラストシール。「ヴルカン-エクスプレス」は、この鉄道の旅客営業運転の名称。
     
 
     
翌日朝、ブロール駅に行ってみると、構内の隅の一段高くなっている引上げ線に5号機が止まっていた。
この機関車は1951年製(Chrzanow)で、ポーランド国鉄で使用されていたが、1990年にこの保存鉄道が購入した。同形の機関車6号機も同時にこの鉄道に来ていたが、この頃はブロールの車庫に保管され、整備を待っていた。
炭水車の前の方が運転室と同じ形のデザインが特徴。
  10時15分の発車に備えてホームに止まっている客車に機関車が連結すると、家族連れなどの客がホームに入ってきた。この列車は12km先のオーバーツィッセンまで行って折り返してくる。その先は急勾配区間に入るため、気動車の列車が接続していて、終点のエンゲルンまで行くことができる。
 
<ブロールタール鉄道発行のパンフレットから加工>
     
 
ブルクブロールの手前に石造りのアーチ橋がある。
列車の最後尾では、ディーゼル機関車が重連で後押ししていた。
  近くにあるブロール城の名前を駅名にしたブルクブロールに、列車は4分間停車する。この鉄道の列車の運転は、多くのボランティアの活動に支えられている。
 
     
沿線には道路が並行しているため、車で追いかけながら撮影するには便利だったが、風景にはどうしても道路と車が入ってしまう。こうして見ると列車の編成はかなり長い。   オーバーティッセンからの折り返し列車は、客車3輌だけの軽い編成になってブロールに向かって走って行った。
機関車を転向する設備が無いため、逆向牽引となる。
 
     
12時にオーバーティッセンを出てから約50分の旅を終えてブロールに着いた列車は、機関車を反対側に付け替えて、14時発の列車としてもう1往復するまで、駅の構内で休んでいた。   ブロールタール鉄道は1901年に開業し、オーバーティッセンから終点のエンゲルンまでには、千分の50という急勾配区間があったため、1934年までは歯車レールと噛み合せて登るラック式で運転されていた。
1961年に旅客営業が廃止されたが、1977年にヴルカン・エクスプレスとして再開し、ボランティア団体に支えられて運転を続けている。

この時に見た蒸気機関車は、翌月の特別運転でボイラーにトラブルが発生し大修繕が必要となったが、これに必要な費用が工面できず保管されていたものの、2008年に遂に売却されてしまった。
かつてこの鉄道で使用されていたマレー式(動輪2軸を2組備えた足回り)の蒸気機関車(ナンバーは11smという)を復活運転に向けて整備するプロジェクトが進められているが、2011年中には蒸機列車の運転が再開する見込みである。
 
     
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