更新履歴

日付 内容
2021.5.5 「蒸機以外の昭和の風景」のカテゴリーに「尾小屋鉄道」を追加。
2021.4.29 「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに「博物館明治村の9号」を追加。
2020.5.10  「鉄道博物館」のカテゴリーにモンゴルの「ウランバートル鉄道博物館」を追加。
2019.11.4 「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに「西武山口線」を追加。
2019.5.4  「昭和の蒸機」のカテゴリーに新潟の「東洋活性白土の小さな蒸機」を追加。
2018.10.8 「ビデオクリップ」のカテゴリーにイギリスの「タリスリン鉄道」を追加。
2018.6.16 「蒸機以外の昭和の風景」のカテゴリーに「南紀の気動車 キハ07とキハ81」を追加。
2018.4.15 「ビデオクリップ」のカテゴリーにエジプトの「ナイルデルタの軽便鉄道」を追加。
2018.1.8 「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに「加悦SL広場」を追加。
2017.11.19 「ビデオクリップ」のカテゴリーのヨルダン「ヒジャーズ鉄道71号機」ビデオファイルを更新。
2017.10.15 「ビデオクリップ」のカテゴリーにエジプトの「クス製糖工場専用線」を追加。
2017.9.24 「ビデオクリップ」のカテゴリーにヨルダンの「ヒジャーズ鉄道シリアへ向けて」を追加。
2017.9.2 「ビデオクリップ」のカテゴリーにドイツの「ドレスデンを往く原形01形」を追加。
 2017.8.11 「ビデオクリップ」のカテゴリーにドイツの「ドレスデン蒸機フェスティバル2017」を追加。
2017.7.23  「外国の保存運転」のカテゴリーにドイツの「ドレスデンに集う旧東独蒸機」を追加。
2017.5.6 「外国の保存運転」のカテゴリーにドイツの「ドレスデンを往く01 2066号機」を追加。
2017.3.4 「蒸機以外の外国の車輌」のカテゴリーにモンゴルの「雪原を往く長大列車」を追加。
2016.12.23 「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに「小松市なかよし鉄道(尾小屋鉄道)」を追加。
2016.11.20 ホームページ公開サーバーを変更しサイト引越し。コンテンツは変わらず配色を少し変更。
2016.10.1 「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに「いすみ鉄道とポッポの丘」を追加。
2016.7.18 「保管/展示される機関車」のカテゴリーにエジプトの「サイゴン駅前の141形」を追加。
2016.5.7 「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに「SLやまぐち号の想い出」を追加。
2016.4.9 「保管/展示される機関車」のカテゴリーにミャンマーの「緑色の静態保存機」を追加。
2015.5.10 「現役の機関車」のカテゴリーにドイツの「モリー鉄道」を追加。
2015.4.2 「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに「EF55 上越線復活運転」を追加。
2015.1.31 「音の記録」に「播但線 和田山発632列車」の車内アナウンスを聞かせる映像を追加
2015.1.4 「現役の機関車」のカテゴリーにドイツの「リューゲン鉄道」を追加。
2014.12.14 「蒸機以外の昭和の風景」に「太平洋炭礦 春採電車線」を追加
「音の記録」に「五能線 混合733列車」の車内アナウンスを聞かせる映像を追加
2014.11.10 「蒸機以外の昭和の風景」に「上田交通 丸窓電車」を追加
2014.10.25 「音の記録」のカテゴリーを開設。「山陰線・舞鶴線の921列車」の車内アナウンスを聞かせる映像をYouTubeにリンク。
2014.10.16 トップページの模様替え。日本の紹介カテゴリーを再編成。
2014.9.26 今月のビデオクリップ(9月)に「長野県 赤沢森林鉄道」の映像を追加
2014.9.8 「区分不能」のカテゴリーに「青梅鉄道公園」を追加。
2014.4.26 「保存鉄道」のカテゴリーにドイツの「マンスフェルド鉱山鉄道と車輛復元工場」を追加。
2014.3.28 「保管/展示される機関車」のカテゴリーにエジプトの「カイロ ラムセス駅前」を追加。
2014.2.15 全頁のレイアウト不具合修正
2013.10.16 「鉄道博物館」のカテゴリーにウズベキスタンの「タシケント鉄道博物館(その2)」を追加。
2013.9.23 「鉄道博物館」のカテゴリーにウズベキスタンの「タシケント鉄道博物館(その1)」を追加。
「アーカイブ」を廃止、一部のページのトーンを変更。
2012.11.18 明治村の12号機が修理・点検のための運休を終えて2年ぶりに運転再開したニュース
2012.3.20 今月のビデオクリップ(3月)に「ドイツ オシャッツの重連運転」の映像を追加
2012.1.29 「鉄道博物館」のカテゴリーにインドネシアの「アンバラワ鉄道博物館(2011年/その2)」を追加。
2011.12.10 「鉄道博物館」のカテゴリーにインドネシアの「アンバラワ鉄道博物館(2011年/その1)」を追加。
2011.11.23 「保管/展示される機関車」のカテゴリーにインドネシアの「ジャワ島の静態保存機」を追加。同じくインドネシアの「スラバヤのスチームトラム」の内容を更新。
2011.9.23 今月のビデオクリップ(10月)に「北部ドイツを疾走した03.10形」の映像を追加
2011.9.1 今月のビデオクリップにイギリスの「セヴァン・ヴァレィ鉄道」の映像を追加
2011.8.19 「保存鉄道」のカテゴリーに「北部ドイツを疾走した03.10形」を追加
2011.7.31 今月のビデオクリップにドイツの「ブロールタール鉄道」の映像を追加
2011.7.2 「保管/展示される機関車」のカテゴリーに「ヨルダン・ヒジャーズ鉄道 日本車輛製蒸機」を追加
今月のビデオクリップにドイツの「ハルツ狭軌鉄道」の映像を追加
2011.6.18 日本の蒸機保存運転のカテゴリーに「明治村 12号機が牽く列車」を追加
2011.5.31 今月のビデオクリップにヨルダンの「ヒジャーズ鉄道71号機」の映像を追加
2011.5.15 日本の蒸機保存運転のカテゴリーを新設
トップページのデザインを変更
左のフレームに「日本の保存運転」と「今月のビデオクリップ」のボタンを追加
2007.8.16 ホームページ新規開設

家主のつぶやき
2021.5.5  「蒸機以外の昭和の風景」のカテゴリーに「尾小屋鉄道」を追加しました。これまで「小松市なかよし鉄道(尾小屋鉄道)」の紹介ページの後半に尾小屋鉄道が営業していた時代の写真を紹介していましたが、なかよし鉄道のページを若干リニューアルした機会に尾小屋鉄道を分離して別のカテゴリーに掲載することにしました。内容は写真を追加して若干組み替えました。この鉄道は1970年と1975年に計3度訪問しましたが、いずれも1、2月の寒い時期で、雪景色が多かったです。
2021.4.29   久々のコンテンツ追加です。「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに「博物館明治村の9号」を追加しました。
これまでは2007年11月に明治村を訪ねた時に運転されていた12号機関車を紹介していましたが、それより26年前の1981年4月にここを訪ねた時に撮影した写真をデジタル化したので、その日に運転されていた9号機関車の姿を紹介します。12号機は英国製の優美なデザインでしたが、9号機は米国ボールドウィン社製の粗削りな特徴のある姿で対照的でした。「東京駅」側の2線を収納する庫はこの当時はまだ建っておらず、機関車1両が入るだけの上屋が設置されていました。
 また、尾西鉄道から移設されたターンテーブルについて今回調べてみると詳しく研究した論文が見つかり、貴重な産業遺産であることが分かりました。但し明治村へ移設する当時はその価値が認識されていなかったため、直径を短くする改造が加えられていたのでした。
 2020.5.10   今回は「鉄道博物館」のカテゴリーにモンゴルの「ウランバートル鉄道博物館」を追加しました。
首都ウランバートル駅の近くに、機関車7輌を屋外展示している博物館です。道路と線路の間の柵に囲まれた敷地に、管理人がいるわけでもなく短いレールの上に車輛が配置されていますが、それぞれの展示物の前にプレートがあってロシア語で簡単な説明が表示されています。モンゴルの鉄道のゲージは欧米の標準軌より広い1520mmで、開業当初からソ連の影響を強く受けていました。車輛もソ連製が多いのですが、展示されている蒸機の中にアメリカ製のものがあります。第一次世界大戦と第二次世界大戦の頃に、ソ連はアメリカから蒸気機関車を多数輸入していたことがあり、そのひとつがここに展示されています。
2019.11.4   今回は「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに「西武山口線」を追加しました。
 
「小松市なかよし鉄道(尾小屋鉄道)」を掲載した時にも触れましたが、ゲージが狭く車輛も小形の軽便鉄道は明治の終わりから大正時代にかけて全国で普及しました。しかし昭和30年代に道路が整備されモータリゼーションの波に呑まれて次々に廃止されていきました。
 軽便鉄道として地域の足として活躍しただけでなくファンの間でも人気のあった頸城鉄道と井笠鉄道では、小さな蒸機が客車を牽いて走っていましたが、こうした小型の機関車の製造を得意としていたドイツのコッペルというメーカー(正式にはOrenstein & Koppel A.G.)の蒸機でした。どちらの鉄道もディーゼル化で引退した後も大切に保存していましたが、西武鉄道が鉄道100年を記念してその蒸機を整備し、遊園地を結ぶ鉄道だった西武山口線で復活運転を始めたのでした。軽便鉄道時代には現役の姿を見ることが出来なかったファンも、東京近郊でその走る姿を見られるようになったのは画期的なことでした。
 これらの蒸機は4年余り運行した後それぞれの鉄道に返却されましたが、西武鉄道は同じコッペル社製で台湾で使用されていた蒸機を2輌購入してこの山口線で1984年まで運転を続けました。
2019.5.4  7ヶ月ぶりのコンテンツ追加です。平成から令和になりましたが、今後ともダンプロックホフをよろしくお願いします。
 今回は「昭和の蒸機」のカテゴリーに
「東洋活性白土の小さな蒸機」を追加しました。昭和の時代に新潟の糸魚川へ行くと、「1ぶんの1鉄道模型」とも言えるようなコンパクトな範囲に様々な鉄道風景が凝縮された工場と専用線があり、小さな蒸機が毎日働く姿を見ることが出来ました。製品を小さな貨車に載せ、わずか700m程離れた国鉄の駅構内の積替えホームまで列車が往復していたこの鉄道は、昭和57年に会社が解散して廃止となり、その後施設がすべて撤去されてスーパー、家電量販店、病院等が建ったたため、当時の光景を偲ぶこともできないようです。昭和47年と52年の2度訪ねたことがあり、その時の様子を紹介します。
2018.10.8  「ビデオクリップ」のカテゴリーにイギリスの「タリスリン鉄道」の映像を追加しました。
 2001年7月にウェールズ地方の保存鉄道を訪問した際に撮影したシーンです。山の斜面にまで牧草地が広がる雄大な風景の中を、カラフルな小さな蒸機が赤い客車を牽いて走っていました。沿線には好適な撮影場所がありそうですが、私有地への立入り制限が徹底しているため、道路、駅、踏切等カメラを構える場所は限定されました。イギリスには保存鉄道が各地にありますが、そのほとんどがボランティアによって運営されています。この時の訪問から十数年が経ちましたが、最近の情報では保存機関車の数も増え、ますます活発に活動を続けているようです。
 
2018.6.16   今回は「蒸機以外の昭和の風景」のカテゴリーに「南紀の気動車 キハ07とキハ81」を追加しました。
 蒸機が牽く現役の旅客列車としては日本の国鉄最後の列車が室蘭本線を走ったのは1975年12月14日ですが、その年の7月に紀伊半島の海岸線を往復する旅行に出て、非電化だった紀勢本線で活躍するディーゼル機関車や気動車を撮影しました。1960年に日本で初めての特急用気動車としてデビューしたキハ81形が、電化によって東北地方での持ち場を失い、紀伊半島を一周する特急「くろしお」として暖かい海を見ながら走っていました。
 一方、半島の西部には野上電鉄、有田鉄道、紀州鉄道(元御坊臨港鉄道)の私鉄線がまだ営業していましたが、有田鉄道で主役として使われていた気動車は元国鉄のキハ07形でした。正面が6枚窓で半円形に膨らんだ独特の風貌は印象的で、既に希少価値のある存在でしたが、国鉄線との接続駅である藤波から1駅間だけ紀勢本線に乗り入れて運行していました。
 キハ07形とキハ81形は幸い現在でも保存車輛を見ることができますので、その様子も紹介しました。
2018.4.15  今回は「ビデオクリップ」のカテゴリーにエジプトの「ナイルデルタの軽便鉄道」の映像を追加しました。
 カイロから北東方向にあるマンスーラという町を拠点に旅客営業していましたが、1990年から何度か撮影に通っているうちに、次々に路線が縮小していきました。ビデオカメラを初めて持って行ったのは、全線廃止直前の1992年1月11日のことでした。遅すぎたかもしれませんが、それでも緑色で丸窓のある気動車の走る姿と音を、何とか映像に残すことができました。夕方マンスーラを発車して行く66号気動車の排気の煙が印象的でした。この車輌は姿かたちが何とも言えない「ゲテモノ」であることに間違いありませんが、かくしゃくとして走る姿は頼もしいものでした。
 この1週間後の土曜日に再度ここを訪ね、片道運転室に添乗させてもらった時のことを
「ナイルデルタの軽便鉄道(その2)」のページで紹介していますが、その後実際いつ廃止になったかを確認することもなく、その日を最後にもう訪ねることはなかったのです。
2018.1.8   2018年になりました。今年もダンプロックホフをよろしくお願いします。
 今回は「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに
「加悦SL広場」をアップしました。昨年2月に訪ねた時の様子です。
 加悦鉄道は旧国鉄宮津線の丹後山田駅で接続して貨物輸送も行っていた地方私鉄ですが、宮津線は1990年に第三セクターの北近畿タンゴ鉄道となり、さらに2015年には上下分離されて列車運行が京都丹後鉄道に移りました。これと時期を同じくして丹後山田駅は1990年から野田川、2015年から与謝野に名称を変えています。
 加悦鉄道はもともと丹後ちりめんの輸送目的で開業し旅客輸送も担っていましたが、ニッケル鉱山が開発されてから鉱石輸送が重要となり、精錬所への輸送は鉱山閉山後も続いていました。ところが1985年に国鉄が宮津線の貨物輸送を廃止したため、精錬所への輸送もできなくなり鉄道営業を廃止せざるを得なくなりました。時代の波に呑まれた鉄道ですが、明治の鉄道創業時の蒸機をはじめ古い貴重な車輛が使用されていたため、多くの鉄道ファンに親しまれていました。
 昨年SL広場を訪ねた時は、明治6年英国のロバート・スチーブンソン社製の2号機関車は塗装作業で下塗りの状態でした。NPO法人加悦鐵道保存会の地道な保存活動のお陰で貴重な保存車輛を今でも見ることができます。
2017.11.19  「ビデオクリップ」のカテゴリーの「ヨルダン ヒジャーズ鉄道71号機」のビデオクリップを編集し直してYouTubeに再リンクしました。これまでもYouTubeにリンクしていましたが、動画の形式をwmvからMpeg4に変えたところ画質が鮮明になりました(正確には色々な設定があるため一概には言えないようですが)。
 ヨルダンのヒジャーズ鉄道は複数の蒸機を動態保存していて、ツアーが企画されるとチャーター運転しています。保存機の中には珍しいベルギー製の71号機がいて、2009年と2010年に英国のツアーで運転された時の様子をこのビデオで紹介しています。71号機は正面から見るとエンドビームとカウキャッチャーが狭く、細長の顔立ちに大きなヘッドライトがチャーミングです。2010年の運転時はブラスト音が不自然なリズムでしたので状態が良くなかったようですが、それでも起伏の大きなアンマン市内の急勾配区間を走る勇壮な姿を見せてくれました。
2017.10.15  「ビデオクリップ」のカテゴリーに「エジプト クス製糖工場専用線」をアップしました。前回のヒジャーズ鉄道と同様に、かつてこのサイトで紹介していて一度削除したページをYouTubeリンクで復活させたものです。
 エジプト南部のナイル川沿いには砂糖きびが栽培されていて、いくつもの製糖工場がありました。それぞれの工場が周辺の畑に広がる2フィートの軌道網を展開していて、ネットワークの途中に置いた空の貨車に人力で収穫した砂糖キビを積込み、小さなディーゼル機関車がそれを連結しながら長い編成にして工場へ運搬していました。列車ダイヤは決まっていないので、行き当たりばったりで動いている列車を探すしかありません。工場の近くの線路際にいると、時間帯によっては砂糖キビ満載の長い列車が次々に到着する様子を見ることが出来ました。
 夕方になると、工場を出た機関車が単機回送で次々に散って行き、翌日貨車を拾いながら工場に戻る準備に出かけるようでした。動画の最後は、用水路に沿って機関車が村の中を走り抜ける姿ですが、犬が吠えながら機関車を追いかける姿は傑作です。
 この動画はVHS-Cテープのビデオカメラで撮影しましたが、テープ1本の撮影時間が20分のところを3倍速60分で撮影したこともあり、画質はかなり荒れています。
 今回はついでに
「ドイツ オシャッツ〜ミューゲルン」のビデオクリップも編集し直してYouTubeに再リンクしました。画質を良くするつもりでしたがこれもやはりVHS-Cテープでして、元が元だけにほとんど変わりませんでした。
2017.9.24  「ビデオクリップ」のカテゴリーで「ヨルダン ヒジャーズ鉄道シリアへ向けて」を紹介します。動画を紹介する「ビデオクリップ」のカテゴリーはYouTubeにリンクしていますが、以前はこのサイトの中の動画ファイルにリンクしていたため、サーバーの容量限度があって古いページを削除してやりくりしていました。今回紹介するシーンもかつて載せていたものをYouTubeリンクで復活させたものです。
 ヨルダンのヒジャーズ鉄道には日常的な列車の営業運転はありませんが、チャーター列車やイベント列車が運転されていて、動態保存の蒸機も活躍しています。この動画を撮影した2009年前後は、毎年イギリスの会社が企画したヨルダンとシリアで蒸機列車に乗るツアー客がヨルダンに入り、蒸機が牽く列車で国境を越えてシリアに入るという珍しい体験をしていました。ヨルダンの車輛がシリア側の最初の駅ダラアまで行くことが多いのですが、この年はヨルダン国内に補修工事中の橋梁があって不通区間があり、その北側の駅までシリアで保存されている蒸機と客車が国境を越えてヨルダンに迎えに来るという段取りになっていました。
シリアで保存されているヒジャーズ鉄道の車輛をヨルダン国内で見るのは稀なことでしたが、今回紹介するヨルダン北部の雄大なΩ形カーブを登って行く姿を撮影出来たのは幸運でした。
 シリアの治安情勢が悪化した今では、当時のような企画ツアーは考えられませんが、シリアの鉄道博物館で保存されていた100年ほど前の車輛達がどういう状態になっているのか気になるところです。
2017.9.2  前回「ビデオクリップのカテゴリーでドレスデンの蒸機フェスティバルで運転された旧東独蒸機を紹介しましたが、今回はその蒸機フェスティバルに向けてバイエルン鉄道博物館で動態保存されている原形01形の2066号機が、特別列車を牽引してドレスデンまで走行し、フェスティバル終了の翌日にやはり特別列車を牽引してバイエルン州へ帰る姿をビデオカメラでとらえた映像を「ドイツ ドレスデンを往く原形01形」として紹介します。
 4月6日にニュールンベルグ近郊から北へドレスデンへ向かう列車を追い、4月10日にドレスデンから南へ向かう列車をホフの南方まで追いかけた時の様子は「ドイツ ドレスデンを往く01 2066号機」のページで紹介しています。01形蒸機が出力全開で勾配を登っていく姿と音は圧巻ですが、列車が通り過ぎた後もいつまでも聞こえるブラストの音も印象的でした
2017.8.11  今回は「ビデオクリップ」のカテゴリーで「ドイツ ドレスデン蒸機フェスティバル2017」を紹介します。
 前回、ドレスデン周辺の区間で蒸機フェステバルの特別列車を牽引した蒸機の画像を紹介しましたが、同時にビデオカメラも回していたので、その映像をいくつか紹介します。アルテンベルグ線の重連列車では、汽笛の音色も収録されています。
2017.7.23   今回は「外国の保存運転」のカテゴリーで「ドイツ ドレスデンに集う旧東独蒸機」を紹介します。
 前回は4月上旬の蒸機フェステバルに合わせて特別列車をドレスデンまで牽引して来た原形01形の姿を紹介しましたが、今回はその3日間の蒸機の祭典で運転された蒸機の雄姿です。
 各州ごとに運営されていたドイツの鉄道が1925年に統一され、急行旅客用蒸機として01形や03形が開発製造されましたが、戦後国家が東西に分割された後、鉄道の運営も西と東でそれぞれ特徴のある発展を経て、旧東独国鉄で活躍した主力蒸機は一種独特の雰囲気を有しています。ドレスデンで開催される蒸機フェスティバルには戦後西独で開発された形式も一部見かけましたがあくまでも脇役で、東独蒸機全盛時代を再現するというテーマで企画されていることは、ドレスデン〜東ベルリン間を往復する急行列車(当時Dツークと呼ばれていた)が特別運転されたことからも推察できます。
 ドイツ各地で動態保存されている大型蒸機が集結して、連日各方向の本線上で特別列車を牽引する企画を実現していることに敬意を表しますが、今回はそれに合わせて「とび入り」で参加した珍しい蒸機の走行写真を撮影することが出来ました。東独時代の1961年に改造で誕生した18形201号機です。ドイツの鉄道雑誌等で何度も写真を見ていた巨大な姿を、遂にこの目で見ることが出来ました。また、大きなカマボコ形のドーム屋根はドイツ(欧州)の主要な駅の特徴ですが、その中の頭端式ホームに到着し、逆行で回送列車を推進していく01.5形の姿も、忘れられないシーンとなりました。
2017.5.6   今回は「外国の保存運転」のカテゴリーで「ドイツ ドレスデンを往く01 2066号機」を紹介します。
 毎年4月上旬に旧東独のドレスデンで各地の保存蒸機を集めた蒸機フェステバルが開催されますが、今年で第9回を迎えました。今回はバイエルン鉄道博物館で保存されている原形01形の01 2066号機がフェスティバルの前日にツアー客を乗せた特別列車を牽いてドレスデンに入り、3日間のフェスティバルの中日には旧東独の蒸機全盛時代を再現するイベント列車をドレスデンからベルリンまで往復牽引しました。そしてフェスティバル終了翌日に、再び特別列車を牽いて博物館に戻りましたが、レンタカーでこの列車を追いかけながら撮影した記録を紹介します。
 長距離走行のため途中で給水が必要で、途中そのために停車する駅がありますが、蒸機の給水設備が残っている駅はほとんどなく、ドイツでは特別運転の時は消防車を駅のそばに停めて、そのポンプを使いホースを伸ばして機関車に給水しています。
 フェスティバルの期間は盛沢山のスケジュールだったため、ベルリン往復の列車を牽く姿は見られませんでしたが、6日と10日は好天に恵まれ、01形の勇壮で華麗な姿を堪能しました。
 フェステバルのその他の機関車の様子は別の機会に紹介します。
2017.3.4  「蒸機以外の外国の車輛」のカテゴリーにモンゴルの「雪原を往く長大列車」をアップしました。
 モンゴルの鉄道は1938年に首都ウランバートルから炭鉱の町ナライハまでの区間が開業して以来、1950年代の終わりまでに旧ソ連の技術と支援で建設されました。北はロシア国境から南は中国国境までの南北縦貫線を中心に営業している鉄道はウランバートル鉄道と称して、モンゴル政府とロシア鉄道が資本を折半している合弁企業です。これ以外に炭鉱や銅鉱山から鉱産物を輸送する鉄道や、発電所に燃料の石炭を輸送する専用線など、多くの私鉄も運営されています。
 今年の2月に極寒のこの国へ行く機会があり、見渡す限りの白銀の世界を満喫してきました。と言ってもマイナス20度以下の環境はさすがに厳しく、カメラが無事に動いてくれるか心配でしたが、問題なく撮影することができました。旅客列車は27輌編成、貨物列車は60輌編成という長大列車が、雄大な風景の中、エンジンの唸りを響かせながらSカーブを走行する迫力は、とても写真では表わしきれませんが、その雰囲気だけも紹介したいと思います。
2016.12.23  ゲージが狭く車輛も小形の軽便鉄道は明治の終わりから大正時代にかけて全国で普及しましたが、昭和30年代に道路が整備されモータリゼーションの波にのまれて次々に廃止されていきました。尾小屋鉄道は「けいべん」の風情を残す貴重な存在でしたが、ここも1977年に遂に廃止されました。幸いにも車輛の多くが解体を免れ保存されていて、今でも見ることができます。
 その中のひとつ「いしかわ子ども交流センター小松館」の敷地で、動態保存された気動車が子供たちを乗せて走っています。今年10月に訪ねた時の様子を「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに
「小松市なかよし鉄道(尾小屋鉄道)」としてアップしました。併せて、尾小屋鉄道が営業していた1974年に訪ねた時の画像も紹介しています。1月4日と9日に撮影しましたので、車輛には正月飾りが付いています。
2016.11.20  これまで使ってきたホームページ公開サーバーが来年にはサービスを終了することになったので、新しいサーバーへ引越すことにしました。これを機会にサイト全体をリニューアルしようかとも思いましたが、その作業も大変なのでコンテンツはそのままにして、一部の壁紙や配色を変更して少しだけ気分転換してみました。各ページをチェックしてみると、ブラウザーで見た時にレイアウトが崩れていたり、他のページにジャンプするリンクが画像に隠れていたところもあったので、補修して少しは見やすくなったと思います。
 このサイトは初めからホームページビルダーを使って作っていますが、ソフトのバージョンも進化していて今は20を使っています。最近ではブログのように内容を簡単に追加編集できる仕組みの作り方もあるようですが、あいかわらず以前からの編集方式を続けているので、ホームページビルダーの中でも「クラシック」というコースを選んで作業しています。ホームページも、パソコンよりスマホやタブレットで見る人が増えているようなので、時代の変化に取り残されないようにしなければなりません。
 新しいサーバーでは<http://dampfhof.net>というとてもシンプルなURLになりました。以前のページにアクセスした時の自動転送も、そのうちに手配します。
2016.10.1  昨年12月に「房総横断鉄道トコトコ切符」という企画商品が発売されました。東京湾に面する五井駅と太平洋に面する大原駅との間を、小湊鉄道といすみ鉄道の列車を乗り継いで房総半島を横断する旅をブランド化したものです。この横断鉄道東側のいすみ鉄道を、昨年6月に訪ねた時の様子を「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに「いすみ鉄道とポッポの丘」としてアップしました。
 房総横断鉄道とは2004年頃に始まった構想で、ゲージが同じことから列車が直通運転することも検討されたようですが、これは実現しませんでした。いすみ鉄道の方は、鉄道マニアにとって嬉しい企画もあって、国鉄時代の雰囲気を思い出す風景を楽しんできました。
 いすみ鉄道沿線から近いところに「ポッポの丘」という風変わりな観光スポットがあります。鉄道車両が展示されている施設という形では大々的に宣伝されていないのですが、房総に縁のある車両を含めた多くのコレクションを、鉄道に縁のない丘の上に展示してある場所です。屋外展示という厳しい環境の下で、いつまでも良い保存状態が続くことを願っています。
2016.7.18  ベトナム最大の経済都市ホーチミンは、1976年の南北ベトナム統一まではサイゴンという名の南ベトナムの首都でした。この街にある南北縦貫鉄道の南のターミナルがサイゴン駅です。駅前広場は駅の北側にありますが、その中央に蒸機が静態保存されています。今回は「サイゴン駅前の141形」としてこの機関車の画像をアップしました。
 初めてベトナムを訪ねた1993年に北部で貨物列車を牽く蒸機の姿を一瞬見かけましたが、写真を撮ることはできませんでした。その時機関車の前方両側にあるデフレクターの形が木の葉のようで印象的だったのを覚えています。2度目のベトナム訪問はそれから18年後でしたが、サイゴン駅前に保存されていたこの機関車を見て、その不思議な形を間近に見ることが出来ました。
2016.5.7   国鉄蒸機の復活運転の草分けとなった山口線のC571号機は、1979年8月1日に営業を開始していますから、今年で37年を迎えることになります。2013年夏の集中豪雨で山口・島根県境付近の線路が大きな被害を受けましたが、約1年かけて復旧し、今でも迫力ある走行シーンを見せてくれています。営業開始間もない頃と、1997年に訪ねた時の様子を「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに「SLやまぐち号の想い出」としてアップしました。
 国鉄線上で蒸機が牽引する最後の定期旅客列車が北海道で走ったのは1975年12月14日ですから、それからわずか3年半余り後にイベント運転としての蒸機牽引列車が復活していたことになります。通常の列車を蒸機が牽引していた現役時代は遠い昔のことで、現在各地で復活運転している蒸機は本来の姿ではないといったイメージを抱きがちですが、やまぐち号運転の歴史が37年という長きに亘っているという事実に接すると、日本の蒸機の歴史は切れ目なく現在に至っているとも思えます。
2016.4.9  しばらく休眠状態だったこのサイトですが、今回は昨年初めて訪ねたミャンマーの「緑色の静態保存機」を紹介します。スー・チーさんが実質的に政権を取って話題になっている国ですが、鉄道の歴史は意外に古く1877年です。太平洋戦争の時は、映画「戦場に架ける橋」で有名な泰緬(たいめん)鉄道がミャンマーとタイの国境を越えて建設されました。
 ミャンマーの鉄道と言えば、JRや第三セクター鉄道の中古車が大量に再利用されていることでも有名です。昨年夏には仙台や新潟地区で使われていたディーゼルカーが譲渡され、JR線を走っていた時とほぼ同じ塗装でヤンゴン環状線を走っています。
 昨年10月と今年の2月に訪ねた時に見た、首都ネピドーと元首都ヤンゴンの静態保存3機を紹介します。2月に列車で移動した時に、途中の駅にあった庫の内外に廃車となった蒸機の姿を見ました。
2015.5.10   今回は「現役の機関車が走る外国の風景」のカテゴリーで「ドイツ モリー鉄道」を紹介します。旧東ドイツ北部のバルト海沿岸に、ハイリンゲンダムとキュールングスボーンというリゾート地がありますが、ドイツ鉄道(DB)との乗継駅バート・ドーベランからこれらのリゾート地を結ぶナローゲージの鉄道です。リゾート客の交通手段としては並行する道路を走るバスの方が現実的ですが、この鉄道では蒸機が牽引する列車を走らせていて、しかもバート・ドーベランの街の中では、石畳の街路を走る風景が有名になり、テレビなどでも紹介されています。また2007年のG8サミットの開催地としてもハイリンゲンダムは有名になりました。
 起点のバート・ドーベランの駅を出た列車は、暫くして大きな交差点を通過しますが、ここから街路との併用軌道区間に入り、商店の軒先をかすめたり、カフェの横を通過しながら街を抜けていきます。2011年8月、モリ―鉄道開業125周年祭に合わせて、DB本線を03 1010号機が特別列車を牽いて走りましたが、その撮影の合間にモリー鉄道を初めて訪ねた時の風景を紹介します。
2015.4.2  昭和11年に製造された流線型の電気機関車EF55形は、JR東日本の高崎車両センターに保管されていましたが、鉄道博物館での展示が決まり、4月12日からヒストリーゾーン中央の転車台の上、今までC57135号機が載っていた場所に展示されることになりました。C57型蒸機は場所を移動し、DD13 型ディーゼル機関車は館外保管になります。
3輌のEF55形は昭和39年までに全て現役を退いていましたが、1号機は昭和61年に整備され復活運転を果たしました。同年7月末と8月初めの週末に、高崎〜水上間で特別列車を牽引して疾走しましたが、その時の姿を「保存/展示される日本の車輌」のカテゴリーに
「EF55上越線復活運転」としてアップしました。
その独特の先頭形状から、カバとか靴とか呼ばれていましたが、やはりムーミンという愛称がお似合いです。
2015.1.31  昨年から始めた「音の記録」のカテゴリーに第3弾として「播但線 和田山発632列車」を追加しました。姫路と和田山を結ぶ播但線は、寺前から北に向かって上り勾配となり、長谷、生野を過ぎて日本海側と太平洋側の分水嶺を越えると、 新井に向かって25パーミルで下って行きます。この峠を越える貨物列車は昭和45年当時、不定期列車を含めて日に5往復運転されていました。ここでは旅客・貨物ともにC57が牽引していましたが、貨物列車の峠越えにはDD54が前補機としてアシストし、この区間を往復していました。
 昭和45年12月、早朝和田山機関区を出るDD54は、生野まで旅客列車の先頭に連結されていました。その632列車に乗車した時の和田山から竹田までの音の記録を紹介します。
2015.1.4  2015年になりました。今年もまた「ダンプロックホフ」にお越しいただきありがとうございます。時間を見つけてコツコツとコンテンツの追加更新を行っていくつもりですので、思い出したらお訪ね下さい。
 今回は「現役の機関車が走る外国の風景」のカテゴリーに
「ドイツ リューゲン鉄道」の紹介ページを追加しました。旧東ドイツの北部はデンマークとポーランドの国境の間でバルト海に面していますが、ここにあるリューゲン島は夏のシーズンのリゾート地となっています。外国人が訪れるような観光地ではないので、あまり知られていませんが、かつてこの島にあったナローゲージの鉄道網のうち、東南部の一部区間が生き残っていて、観光客をターゲットとして蒸機牽引で運行を行っています。シーズンオフにはナローゲージ区間だけを一日に旅客列車が6往復運転されていますが、夏の間は区間運転を含めて13往復となり、起点のプットブス駅からDBの標準ゲージ区間を改造した三線軌に乗り入れて、海岸沿いの駅まで1駅間足を伸ばして運転されます。
 沿線はほとんど平坦な地形ですので爆煙を上げて走る蒸機の姿は期待できませんが、牧草地に沿って走るのどかな風景の区間もあります。2011年8月に訪ねた時の様子を紹介します。
2014.12.14  日本国内のネタが続きますが「蒸機以外の昭和の風景」のカテゴリーに「太平洋炭礦 春採電車線」の紹介ページを追加しました。1970年代後半には北海道の炭鉱は次々に廃止されていましたが、釧路の太平洋炭礦の鉱山では採掘が続けられており、独特の形をした電気機関車の姿を見たくて1978年にここを訪ねてみました。610mmゲージという狭い線路の上を、両側から押しつぶされたようなスリムなデザインの機関車が、遥か高い所にパンタグラフを立てて走る姿はとても印象的でした。しかも両端がループ状になった複線の専用線を、次から次へと列車が走ってくるのです。この専用線が1989年に廃止されたのは石炭採掘を止めたからではなく、ベルトコンベアーによる運搬に切り替えたからでした。
 この炭鉱は太平洋炭礦としては2002年には閉山しますが、釧路コールマインという会社が継承し、今でも日本で唯一の坑内掘り炭鉱として操業を続けています。
 また「音の記録」のカテゴリーに第2弾として
「五能線 混合733列車」を追加しました。昭和47年(1972年)10月、五能線の8620形蒸機が牽く列車の撮影に行きました。8ミリシネカメラと録音機を持って動画と録音を目的として4日間滞在したのですが、普通の写真をほとんど撮っていなかったのが今となっては悔やまれます。8620形の甲高い汽笛をバックに車掌さんのアナウンスが聞こえます。
2014.11.10  先日の分類再編成で「区分不能」から分けた「蒸機以外の昭和の風景」のカテゴリーに「上田交通 丸窓電車」の紹介ページを追加しました。長野新幹線が開業するまで信越本線と呼ばれていた区間の上田駅と、別所温泉とを結ぶ別所線を走っていた電車です。
 電車を走らせる架線の電気は直流方式と交流方式があって、直流方式の場合は日本では1500Vが主流ですが、地方私鉄では750Vのところもありました。上田交通は開業時から750V直流方式でしたが、昭和61年(1986年)10月に1500Vに昇圧しました。これを機に東急電鉄の中古車輌を導入してサービスを向上させましたが、それまで使用していた旧形電車は750V仕様のため、すべて廃車となりました。
 その年の9月末まで別所線を走っていた旧形電車には個性のある車輌が多かったのですが、中でも1928年に製造されたモハ5250形(3輌)は戸袋の窓が四角でなく楕円形でユニークな存在でした。丸窓電車は上田交通のシンボルとなり、この3両は廃車になった後も保存されているだけでなく、後に東急から移籍したステンレス製の7200形にも四角い窓ガラスに丸い透明部分のあるシールを貼って丸窓電車の雰囲気を出したほどです。
 東急電鉄から移籍して10月から活躍した電車としては通称「青ガエル」と呼ばれた5000系が有名ですが、東急の中でも古参の3300形の電車が昭和50年から上田交通に貸し出されて運行していました。この電車は東急では池上線で3輌編成で走っていたものですが、東急での現役時代の姿を写していたので、これも紹介しました。上田交通では750V仕様に改造して使われていましたが、1500Vへの昇圧時に他の旧形電車とともに廃車となりました。
2014.10.25  先日再編成した分類の中で、新しく作った「音の記録」は準備中でしたが、コンテンツ第1号を作って入れてみました。「山陰線・舞鶴線の921列車」です。最近のJR在来線では列車の編成が途中で分割されたり併合されて運転するケースは少なくなりましたが、昭和40年代に京都駅を出た8輌編成の普通列車が山陰線から舞鶴線に入り、西舞鶴駅で4両ずつに分割されてそれぞれ小浜線と宮津線に分かれ、さらに何時間もかけて終着駅まで走っていた列車の紹介です。
 車掌さんの車内アナウンスは、始めと終わりにオルゴールが鳴り、そのメロディーは当時の旅を懐かしく思い出させてくれます。この列車の車掌さんが、京都駅を出た時と西舞鶴に着く手前で説明してくれたアナウンスを録音していましたので、静止画のシーンをいくつか組み合わせて動画にしてみました。
 この録音をした昭和45年当時、山陰線の京都口で旅客列車を牽引していたのはディーゼル機関車のDD54形とDF50形、そして蒸機のC57もまだまだ健在でした。この日京都から列車の先頭に立ったのはDD54のトップナンバー1号機でしたが、この形式は過去のものとなっていますし、嵯峨を出てから通る保津峡の景勝地はルート付替えでほとんどトンネルで抜けるようになっています。但しこの旧線は嵯峨野観光鉄道としてトロッコ列車で楽しむことが出来ます。
2014.10.16  色々な鉄道の紹介ページを分類するカテゴリーを少し再編成してみました。これまで外国の蒸気機関車以外はすべて「区分不能」の中で紹介してきましたが、この中には外国の蒸機以外の車輌も日本の昭和時代の画像も一緒でしたし、日本で現在保存されている鉄道も含めていました。最近古い写真を整理し直していると、日本でかつて撮影した被写体の中に面白いものもあることが分かったので、これらを紹介するカテゴリーとして「蒸機以外の昭和の風景」を作りました。また現在も日本で保存運転したり静態保存されている車輌を紹介するカテゴリーも分けて作りました。これに合わせてトップページ(この画面)の構成を少し変えることになりました。
 「音の記録」のスペースは作りましたが、内容はこれから準備します。昭和の時代に列車の中で録音した車掌さんのアナウンス等を紹介しようと思っています。
2014.9.26  暫く更新していなかった「今月のビデオクリップ」に「長野県 赤沢森林鉄道」の映像をアップしました。2008年7月に木曽谷の赤沢自然休養林を訪れ、1966年に廃止されるまで木材輸送に使われていた王滝・小川森林鉄道の一部区間に復元された森林鉄道に乗ってみました。
運転されているのは延長1.1km区間を往復するだけですが、赤沢美林の中を往く森林鉄道の風貌をした列車は、30年以上前に見た現役時代の風景を思い出させてくれました。今でも4月下旬から11月上旬まで毎日運行しているようです。
 この動画は6年前にもこのサイトで紹介したことがありますが、ビデオクリップをYouTubeにリンクさせる前はファイルサイズの関係で一定期間を過ぎると削除していました。YouTube方式で復活です。
2014.9.8  エジプトから予定より早く6月上旬に帰国することになり、帰国後も国内で引越しをしていたのでコンテンツの更新から遠ざかっていましたが、「青梅鉄道公園」の展示車輛を紹介するページを「区分不能」のカテゴリーにアップしました。
 この公園は1962年に開設され長い間無料開放されいましたが、保存車両の荒廃もあり1997年に一度休園して保存車両の整備を行い、入場料を設定して再開したそうです。その間一部の展示車両に異動がありましたが、現在は蒸気機関車8輌、電気機関車1両、旧形電車1両、そして新幹線電車が1両、屋外に展示されています。子供連れの客が多く、展示されている機関車のほとんどが運転席に立ち入りできるため、家族で楽しんでいる風景が見られます。東京に永く住んでいますが、この公園を訪ねたのは2013年9月が初めてでして、その時の様子を紹介します。
2014.4.26  今回はドイツ中部(元東独)にある「マンスフェルド鉱山鉄道」を訪ねた時の写真をアップしました。2011年8月、大型蒸機03.10形の本線走行を追いかけて撮影し終えた日、翌日はハルツ山鉄道の東の区間を撮影することにして、ゲッチンゲンからアウトバーンを一路東へゲルンローデに向かって走りました。最短コースはノルトハウゼンの先でアウトバーンを下りて山越えする道ですが、少し先までアウトバーンを走り、比較的平坦な道を行くことにしました。ドイツで購入した道路地図には保存鉄道のところに機関車マークが入っていますが、このルートで行くと途中のマンスフェルドで保存鉄道を見ることが出来そうだったからです。マンスフェルドの街に入ってからも、駅の場所を見つけるのに苦労しましたが、何とかたどり着きました。その時目に入ったのは駅構内に止めてある2輌の蒸気機関車でした。
軌間750mmのナローゲージで、最初は機関車や客車の写真を撮っていましたが、この駅はDB本線の駅との乗換駅になっていて、構内は広く本線用の車輛もたくさん止まっていたので、構内探検を始めました。休日だったので全く人の姿が見当たらない中を歩いて行くと、マニアにとっては興味深い物体が次々に現れ、不思議な世界に迷い込んだような気持になりました。その時の様子を
「マンスフェルド鉱山鉄道と車輛復元工場」のページで紹介します。
2014.3.28  エジプトでは昨年7月に大統領が突然解任された後、各地で民衆と治安部隊との間で衝突が発生し、暫くの間全列車の運行が中止されたという話を聞きましたが、2月にカイロの中央駅に相当するラムセス駅に行ってみると、列車は正常に運行されていました。ラムセス駅からは、北に向かってナイルデルタ地域各方面行きの列車と、南に向かってナイル川沿いに中部・南部エジプト方面へ行く列車が発着しています。駅の軸はほぼ東西方向を向いていて、北へ行く列車は東方向に出て行きます。南に向かう列車は大屋根の外のホームから西に向けて発車し、ナイル川を横断してから南に向かう線形になっています。
 ナイルデルタ方面行きの列車の発着ホームは上野駅地平ホームのように頭端式で、ヨーロッパの大きな駅のように全体が大きな屋根に覆われています。以前は大きな空間で雑然とした雰囲気でしたが、現在は内装がリニューアルされ荘厳な雰囲気になっていました。
 ホームが始まるあたりの上がデッキで覆われ、エスカレーターでそこに上がるとファーストフードの店が両側に営業を始めていました。また、デッキの端まで行くと、各ホームに出入りする列車が見下ろせるような構造になっていました。
 駅前広場は、以前は駐車場になっていて車で埋まっていましたが、ゆったりした広場に整備され、その中央に蒸気機関車が台座の上に鎮座していました。今回はエジプトの
「カイロ ラムセス駅前」として、静態保存されている1865年製の986号機を紹介します。
2014.2.15  昨年秋にウズベキスタンの紹介ページをアップした後、ブラウザで見ると過去のほとんどのページで写真と文章が一部重なって見え、文字の方が写真の背景に入ってしまって読めない場合もあることに気づきました。ホームページビルダーには、画面の中で文字や画像を任意の位置にレイアウトできる「どこでも配置モード」があり、これで編集してきたのですが、いつからか文字枠が大きくなってしまい画像に重なるようになってしまっていました。原因はわかりませんが、バージョンを17に変えてからこの現象が起きたとしか思えません。この現象が起きないように全ページのレイアウトを変えていくのに結構時間が必要でした。しかも管理者バンホフは昨年11月から海外勤務となったため、なかなか時間を割けず、ようやく修正を終えました。
 昨年11月から来ているのはエジプトです。これから当分の間、カイロから発信します。7年ぶりに戻って来たエジプトですが、ムバラク大統領が退陣し、その後のモルシ大統領が解任され、昨年夏にはデモ隊と治安維持部隊の衝突が激しくなったため、外務省の勧告で多くの在留邦人が国外退避しました。最近は落ち着いてきていますが、まだ爆弾事件や銃撃事件が散発しています。
 エジプトの鉄道事情も、これから取材して更新していく予定です。
 2011年からの「アラブの春」の動きの中で、いまだに悲惨な状況にあるのがシリアです。ダマスカスにある
「ヒジャーズ鉄道博物館」を訪ねたのは2010年12月中旬でしたが、その頃の平和な様子からは想像もできないことです。せっかく整備されたこの博物館と車輛達が荒らされていないことを祈るのみです。
2013.10.16  前回に続きウズベキスタンの鉄道博物館の紹介ページをアップロードしました。外国の鉄道博物館のカテゴリーの「タシケント鉄道博物館(その2)」です。今回は1940年代以前の機関車を紹介しました。旧ソ連の機関車の情報は詳しく調べたわけではなく、博物館で展示されている機関車に掲示されていた説明プレートの内容を翻訳しただけですので、機関車のナンバーもどこまでが形式表示で、どこから車両番号かもわかりません。
 この博物館には、機関車の他にラッセル車等の事業用車輛も展示されていました。またパンフレットによれば通信機器や鉄道員制服等も展示されているとのことですが、展示館のような建物は見当たりませんでした。入口左手の職員控室のように見えた建物がそれだったのかもしれません。
2013.9.23  昨年来ずいぶん長い間コンテンツを更新できずにいましたが、久しぶりにウズベキスタンの鉄道博物館の紹介ページを追加しました。外国 の鉄道博物館のカテゴリーの「タシケント鉄道博物館」です。
 屋外に静態保存の車両を展示している施設ですが、昨年6月に初めて訪れてから、約1年後の今年7月にも行ってみると、多くの車両が塗装し直してきれいになっていました。ウズベキスタンの鉄道は旧ソ連時代に建設されていますので、ゲージは1520mmと広く、それに合わせて車両も大型です。列車はそもそも出来るだけ長い編成にして運転するという発想ですので、牽引する機関車も強力で、もともと2輌、3輌とユニットになっている形式もあります。
 展示している車輛の中では、やはり急行旅客用蒸機のP36形が目を引きました。シベリア鉄道で優等列車を牽いていた花形ですが、ソ連時代はベールに包まれていて写真で見る機会も少なく、昨年初めてその姿を見た時は感激しました。4軸の動輪は直径が1850mmと身長より大きいのですが、機関車本体があまりにも大きいので、写真で見ると動輪の大きさが目立ちません。その雄姿をご覧ください。今回は(その1)として、展示車両のうち戦後の世代のものを紹介します。

 今回の更新作業で、アーカイブとしていたかつての「サクサクコース」は廃止しました。また一部のページのトーンも、わずかに変えてみました。このウェブサイトを立ち上げた頃は、ホームページビルダーのバージョン11を使って作りましたが、今は17を使い、18が間もなく発売される時代になっています。スマホやタブレット端末が普及してきましたので、このサイトも時代遅れにならないよう衣替えが必要になりそうです。


ホームページに戻る