ドイツ マンスフェルド鉱山鉄道と車輛復元工場
ザクセン・アンハルト州のハレから西へ約40km余のところにマンスフェルドの街があり、ここから北へ延長11kmの区間で保存運転されているのが、マンスフェルド鉱山鉄道である。
2011年8月に、ハルツ山鉄道東部のゲルンローデを目指してレンタカーで向かう途中、たまたま道路地図の保存鉄道表示を見て立ち寄ってみたところ、その日は運転日ではなかったが、駅構内に止まっている蒸機の姿を見ることが出来た。

この保存鉄道の起点ベンドルフ駅には、2輌のコッペル社製タンク式蒸機が止まっていた。動輪4軸の構造で、1931年に製造された9号機と11号機だった。
この機関車の性能は、出力450馬力、最高速度35km/h、全長9.04m、重量38t、ゲージ750mmの狭軌鉄道。
 
 
 
 
     
マンスフェルド地方では13世紀頃から銅が採掘されていて、1885年にまず5.5km区間で鉱石運搬鉄道が開業した。
その後1930年頃までには、13の鉱山と2か所の精錬所を結ぶ延長95kmのネットワークに拡大していたが、1955年をピークに輸送量が減少し、1969年までに銅鉱山が全て閉山、1970年に旅客営業が廃止された。
  1989年には最後の精錬所と発電所が廃止され、鉄道も廃止されたが、翌1990年には現在の保存区間が保存鉄道として再開し、1994年に現在の保存団体に運営が引き継がれた。

止まっているコッペル製蒸機の先へ行くと、ブルーのディーゼル機関車も止まっていた。ロッド式の35号機。
 
     
ベンドルフの駅には低いホームと750mmゲージの狭軌の線路が敷かれていた。
この日に見た2輌のコッペル製蒸機は、現在は動態保存状態になく、代わりに20号機関車が運転されている。当日その蒸機を見ることはできなかったが、20号機は1951年Karl-Marx工場製動輪4軸のテンダー式機関車である。
  2014年の蒸機列車運転日を見ると、4〜7月の週末に計10日程度、その後は月に1日の予定で、走行中の列車を見ることはなかなかできそうもない。但し貨物列車を運転することもあるようだ。
この鉄道はドイツのナローゲージ鉄道の中では、開業時期が最も古い鉄道ということになっている。
 
 
この駅はDB本線の駅に併設されていて、標準軌の車両も見えていたから、その方向へ歩いて行くと、標準軌と750mmナローのクロッシングがあった。

更にその先へ行くと、そこには目を疑う風景があった。そこは鉄道工場の構内のようになっていて、建物の外のレールの上には、マニアから見れば宝の山のように色々な車両が並んでいたのである。
ここは元東独国鉄時代は鉄道車輛工場だったのだろうが、後に調べて分かったのは、現在はMaLoWaという鉄道車輛整備会社になっていて、各地の保存鉄道からの注文を受けて車輛の復元整備を行っていたのだ。
 
     
先ずは600mmゲージぐらいのかなり小さな蒸機が、整備を終えた状態でフラットカーの上に載っていた。 足回りはアウトサイドフレームで、動輪は内側に隠れていた。
 
     
客車の陰にテンダーが見えたので近づいてみると、どこかで見覚えのある蒸機が止まっていた。
ゲージは1000mmである。
  これは動輪4軸のテンダー式機関車だったが、10年前の2001年8月に訪ねたことのある、ライン川沿いのブロールタール鉄道で走っていた元ポーランド鉄道の蒸機だった。
 
     
  機関車の横には1990年からブロールタール鉄道に所属していた5号機、6号機だったことが表示されていた。2001年8月にその鉄道を訪ねて5号機の走行風景を見ることが出来たが、その翌月の運転でボイラーにトラブルが発生し、結局2008年に売却されたことまではウェブサイトで見ていた。しかしこんなところで再会できるとは思いもよらなかった。どこかの保存団体が買い取って、この工場に復元修理を依頼していたのだろう。
しかしブロールタール鉄道が売却したのが2008年とすれば、この時点で既に3年が過ぎていたことになる。

テンダーの前面が運転室の一部になる独特の形をしているが、テンダーの横には、ブロールタール鉄道100周年記念(1991‐2001年)のシールが貼られたままになっていた。
     
 
 
 
 
     
構内を歩いてみると、ディーゼル機関車や、大型蒸機の船底形テンダー、レールバス等、面白いものがアチコチに並んでいた。元鉄道工場の建物の中は暗くてよく見えなかったが、蒸機らしい姿の一部がいくつか見えた。

DB本線の駅名はクロスターマンスフェルドであるが、そちらの構内にはドイツ式の腕木式信号機が建っていた。
 
 
     
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