緑色に3色の帯、楕円形窓もあるユニークな顔つきの60号。四角窓の方が運転席 帯の赤白黒はエジプト国旗の色 側面の窓とドアの配列も自由奔放といった感じ マンスーラ車両基地にて(1991年9月) |
同じ形式の66号。バッターシ駅で乗客が乗り込むところ。赤いカゴに入れたピーナッツ売りのおじさんが、カメラに向けてポーズ(1991年11月)
マンスーラ駅で発車を待つ66号(1992年1月) |
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農業用水路を渡った60号。マッチ箱のような2軸客車を牽いて行く。(1990年7月) | アブハリズ駅を発車した66号。デッキ付の木造2軸客車を牽いている。(1991年9月) | |||
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カフルハディディ駅で、折り返し列車として発車を待つ66号の前で乗務員の記念写真を撮ろうとしたら、近所の人たちが集まってきた。大きなキャベツを抱えている人(1991年9月) | 66号に乗ってみた。運転士はサラーマ。運転席にはハンドル式のハンドブレーキと、シフトレバーやペダルなど最少限の機器しかない。(1991年9月) | |||
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マンスーラを中心としたメーターゲージの列車を初めて見た1990年7月には、まだ複数の区間が営業していたが、既に廃止の波が押し寄せていて、何度か行くうちに次第に営業区間が短くなっていった。 1992年が明けると、もう間もなく最後の区間が廃止となることが避けられない状態になっていた。それでも1月初めに訪ねた時には、マンスーラからの発車前に庫で給油する66号の車内に、満員の客が乗り込んでいた。 この頃の終点はサダカと言う駅だったが、駅構内が村で一番広い空き地だったため、毎週土曜日の午前中には青空市場になっていた。 |
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1992年1月18日、この鉄道を列車が走る風景を最後に見た日は土曜日だった。サダカ駅は、いつもと変わらず市場が賑わいを見せていた。 | 発車を待つ60号気動車には、売り物らしいドアが立てかけてあった。毎週この日は、駅構内は線路の上もお構いなく売り場になってしまう。 | |||
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ヒヨコを売っている店。エジプト人はすぐに集まる。 | 雑踏の中に佇む60号。この姿を見るのもこの日が最後。 | |||
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顔なじみになったサダカ駅長のサミール。マンスーラまでの切符を買おうとしたら、なくてもいいから乗って行けと言う。記念にするからと買って、日付を刻印してもらった。古風な刻印器 | 客室は超満員で入る余地がなく、運転士のアニスの横に座らせてもらった。気動車が動き出すとようやく、線路上から人がおもむろに避け始めた。 | |||
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運転室にある唯一の計器盤。運転士のアニスが、右下に伸びているコードの1本をつまんで、三角形に並ぶビス頭のひとつに接触させたらエンジンが回転を始めた。それがセルモーターのスイッチになっていた。 | 後ろを振り返って客室の写真を1枚撮った。鶏が入ったかごの上にはヤギが1頭乗っていた。 客室の中央には床上にエンジンが鎮座していて、客はエンジンカバーの上に座っている。 |
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日干し煉瓦で造った家の間を線路が続く | 途中の駅で客が降りていって、車内も空いてきた ゴダイエデ駅での停車中に、運転士アニスを中心に記念写真を撮った |
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この鉄道にはディーゼル機関車が牽く客車列車も走っていた。シリーズその(3)で紹介する | ||||
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