ザクセン州の州都ドレスデンから南西へ約100km、チェコとの国境近くにフィヒテルベルク山がある。山頂の標高1214mは旧東ドイツ領内の最高峰だった。その麓のオーバーヴィーゼンタールには、かつて銀鉱山があり、ザクセン州営鉄道の支線の駅クランツァールとの間に鉄道が開通したのは1897年7月だった。 軌間はザクセン州の他のナローゲージ鉄道と同じ750mmで、延長は17.3km。終点に向けて上り勾配が続く路線で、最急勾配は33パーミルある。 東西ドイツの統一後、ドイツ鉄道(DB)が運営していたこの支線は廃止が検討されていたが、1998年3月にBVO鉄道会社が線路と車輌を買い取ってフィヒテルベルク鉄道となった。 オーバーヴィーゼンタールは、現在はスキーを中心としたウィンタースポーツのリゾート地としてにぎわっている。 終点の駅は、ハルツ鉄道のブロッケン山頂駅に次いでドイツの鉄道の中では2番目に標高が高い場所にある。 |
<フィヒテルベルク鉄道の絵葉書> |
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1991年4月 | ||||
初めてこの鉄道を訪ねたのは1991年4月、ベルリンの壁が崩され東西ドイツが合体してから、まだ1年足らずの頃だった。 雨のクランツァール駅で到着列車を待っていると、動輪5軸の蒸機2輌が、逆行重連でホームに滑り込んできた。 |
この当時はまだ東西別々のまま鉄道が運営されていて、運転室横のナンバープレートや鉄道名のプレートは東独時代と同じだった。99型1771号機は1952年製。 (番号のルールについては車輌番号のページ参照) |
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クランツァールを出た列車は、右手に街並みを見下ろしながらノイドルフに向けて上り勾配を走って行く。 この日は小雨が時々降る寒い一日だった。 |
終点のオーバーヴィーゼンタール駅構内の手前に大きな鉄橋がある。ここを渡り終える辺りで機関車はようやく絶気して、構内に進入する。 | |||
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1999年7月 | ||||
1999年7月に再びこの鉄道を訪ねた。ノイドルフの手前に谷筋を見渡せる撮影場所を見つけた。 | ノイドルフを発車した列車は、ドイツらしい造りの家の横を通って踏切を通過する。 | |||
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1998年3月にBVO鉄道会社が経営する路線となり、運転室横の社名プレートも「フィヒテルベルク鉄道」となっていた。 ナンバープレートも、コンピューター管理番号でなくなったため、照合数字がない。(照合数字については、車輌番号のページ参照) |
終点からクランツァールに向かう列車は、機関車が逆行であるのと、下り勾配で煙を吐くことも少ないため、撮影の対象にしなかったが、踏切で待たされることがあった。 | |||
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この鉄道の南側の区間、ハマーウンターヴィーゼンタール駅の先では、線路はチェコとの国境を流れる小川に沿って走って行く。 機関車の向こうに見える道路はチェコ領内だ。 |
終着駅オーバーヴィーゼンタール手前の鉄橋を、夕陽を浴びながら渡る列車。後方の山は、冬はスキー場になる。 ヨーロッパの夏は日が長く、この列車の到着時刻は19時50分である。 |
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2000年11月 | ||||
2000年11月、冬のフィヒテルベルク鉄道を訪ねた。 朝ケムニッツのホテルを発ち、レンタカーでクランツァールに向かった。降り続いていた小雨は、途中からみぞれとなり、やがて雪に変わった。 クランツァール駅のホーム クレッチャム・ローテンゼーマの大カーブ。積もっていた雪も昼頃には融けてきた。 |
オーバーヴィーゼンタールの構内に給炭給水設備がある。 ベルトコンベアでコールバンカーに積み込んでいる石炭は、アイスホッケーのパックのような厚い円盤状の成形炭だった。 写真を撮っていると、機関士の一人が英語で話しかけてきた。彼の奥さんが、ノイドルフ駅構内で鉄道グッズの店を開いているという。 |
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2006年10月 | ||||
この鉄道4度目の訪問は2006年10月だった。 クランツァールで接続するドイツ鉄道(DB)の支線は、2000年5月に廃止されてフィヒテルベルクは孤立した鉄道となっていたが、DBの支線が営業を再開していた。左側の腕木式信号機はDBの列車用。 |
DBの流線形気動車がクランツァールの駅に進入してきた。 右手前はフィヒテルベルク鉄道の750mmゲージの線路であるが、列車が走っている標準軌の線路と交差して、構内左側の線路に合流する。 |
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クレッチャム・ローテンゼーマのカーブ ハマーウンターヴィーゼンタール |
紅葉している山はチェコ領内 オーバーヴィーゼンタール到着 |
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