ヨルダン国内に残るヒジャーズ鉄道は、南半分の施設をアカバ鉄道会社にリースしてリン鉱石の運搬に使用しているほかは、首都アンマンを中心とした線路上に定期的に運行している列車は無い。2008年春まではアンマンからシリアの首都ダマスカスまでの国際列車が週2便運行されていたが、これが廃止されてからは時折団体客を乗せた旅客チャーター列車が走るだけになっている。 2009年9月にイギリスの旅行社が企画している世界の蒸気機関車撮影ツアーのひとつとして、30余名の団体客がヒジャーズ鉄道を訪れた。このツアーはヨルダンとシリアで保存されているヒジャーズ鉄道の蒸気機関車をチャーターし、この2カ国で列車の撮影と遺跡等の観光をする旅だった。今回はそのうちアンマンから南方のジーザ駅まで運転された蒸機の姿を紹介する。 |
朝6時半頃、アンマン駅の庫の前で23号機が煙を上げていた |
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この日の予定は、ツアー客一行を乗せた列車が朝9時にアンマンを出て南へ約100km余りの場所にあるカタラナ駅まで行き、一行はここでバスに乗り換えて死海や世界遺産のペトラ遺跡等の観光に向かうということになっていた。 <ヨルダン・ヒジャーズ鉄道製ポスターより加工> |
この日列車を牽引する機関車は、1951年にイギリスのロバート・スチーブンソン社で製造された23号機。先輪1軸、動輪4軸、従輪1軸の配置で、1995年にここを訪れた時には赤錆びた状態で放置されていたが、今ではこうして営業に使える状態まで整備されている。 | |||
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8時頃になって23号機が庫の前から動き出し、ゆっくり給水ポートの方へ向かった。今まで何度か冷たい姿だけを見てきたこの機関車が、湯気と音を上げながら動く姿を遂に見た。 | 早朝からこの機関車に火を入れて、自走できるまで蒸気の圧力を上げてきた機関士が、隣に座ってタバコを一服して休んでいた。 | |||
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8時半頃大型バスでイギリスからのツアー客一行が到着し、構内に止まっている蒸機の周りでカメラを向け始めた。 | アンマン駅はアンマン市街の東のはずれにあるが、道路沿いとはいえ駐車スペースも全く無く、解りにくい場所にある。 | |||
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9時過ぎになって、5輌編成の客車の前に23号機が連結され、発車の準備が整った。列車をゆっくり推進して構内外れまで下がった後、黒煙を上げながら驀進し、急ブレーキをかけて停止すると言う、撮影のための試走をしてくれた。 この日はツアー客のために、本線上でも「フォトランバイ」と呼ばれる撮影のための特別運転が予定されていた。 発車に向けて準備が進んだため、駅を出て最初の撮影ポイントである十連橋に向かった。 |
ここは通称「テン・ブリッジ」と呼ばれる10連アーチの石橋で、開けた場所にあって左右色々な場所から見ることができる。被写体としても100年前に建造された立派な構造物だ。勝手に「十連橋」と日本語でも名付けてみた。 この橋を通過した列車は速度を落として停車し、乗客を撮影のために線路際に降ろした後、ゆっくりとバックして橋の手前に戻り始めた。フォトランバイの様子を、離れた丘の上からじっくり見ることができた。 |
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橋の手前まで下がって止まった列車は、カメラを構えたツアー客の前で走行する姿を見せるため、発車した。上り勾配の途中で止まってからの再発車は機関車にとってはかなりきつい。何度も動輪が空転したが、橋の上を加速しながら通過した。 | 橋の先で降りていた客は、思い思いの場所でカメラを構え、近づく列車を撮影していた。 この先で列車は停車し、降ろした客を乗せた後、次の撮影ポイントに向けて走行していくことになっていた。 |
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ところが、ツアー客を乗せて発車した列車は、少し行ったところで停車し、機関車からもうもうと黒煙を上げていたものの、いつまでたっても発車しなかった。そのうち乗客が列車から降りてきたが、そのまま30分以上過ぎた頃、アンマン駅の方からオレンジ色のディーゼル機関車が1輌で走ってきて、列車の最後尾に連結した。 | どうもこのまま23号機が運転を続けることが不可能な状態になったらしい。ディーゼル機関車が最後尾で推進する「後補機」の形で走行するのかと思ったら、列車がバックを始めた。ゆっくりと勾配を下り始め、十連橋を再度渡って、そのままアンマン駅まで回送していった。こちらも車でアンマン駅に戻ることにした。 | |||
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駅に戻ってツアー客に聞いてみると、詳しい説明はないが蒸気漏れか何かの故障でこれから修理するという。運転中止ではなく、午後1時半ぐらいをめどに再度運転することになっているということだった。機関士や修理工が何人かで、キャブの下やボイラー上の安全弁などを点検修理していた。 | 駅員に聞いても正確な情報が判らなかったが、2時近くなって黒煙が上がり始め、蒸気の圧力も上がってきて、給水ポートの方へ移動した。再挑戦は決まったが、カタラナまで行く時間は無くなり、手前のジーザ駅で打ち切って、ツアー客はそこでバスに乗り換えることになった。 | |||
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朝と同じ場所へ行き、カメラをセットして待っていると黒煙を上げながら朝と同じ5輌の客車を牽いて23号機が勾配を登って来た。ディーゼル機関車の補助も無く単独で牽引してきた。 午後になって太陽の位置も変わり、順光線の中を、もう一度十連橋を勇ましい音と煙を上げながら通過していった。今回はフォトランバイも無かったが、何度か動輪が空転する場面があった。 十連橋の後、線路は右方向へヘアピンカーブ状に曲がりながら高度を稼いでいく。短いトンネルを抜けた線路は、十連橋を右手の下に見下ろしながら伸びて行くが、上と右の写真はその線路際で撮影したもの。 |
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見下ろしながら撮影した列車は、暫くして目の前に姿を現し通過して行った。 | 午後4時に列車はジーザ駅に到着。 | |||
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アンマンからジーザまでは37kmぐらいの距離にあって、予定していたカタラナよりはかなり短縮されたが、無事に23号機が牽引して来ることができた。トラブルのおかげで、こちらも十連橋を走る姿を何度も見ることができた。ツアー客はここで大型バスに乗り換えて死海への観光に向かった。 | ジーザ駅には機関車を転向する施設が無いため、23号機は逆向きで列車を回送して、アンマン駅に戻って行った。 | |||
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