ヨルダン ヒジャーズ鉄道(その3 ベルギー製71号)
定期列車が運行されることのないヨルダン・ヒジャーズ鉄道の線路を、2009年9月に蒸機が牽引する列車が走った。イギリスの旅行社が企画した蒸機撮影ツアーの様子を2度紹介してきたが、今回は第3弾としてベルギー製の71号機が牽いた列車の姿を紹介する。
ロンドンから来た鉄道マニアのツアー客30余名は、8日間にわたってヨルダンとシリアに保存されている蒸機の撮影と乗車の旅を終え、前日アンマンに戻った。この日は、午前中にもう一度、アンマン駅から上り勾配と急カーブが連続するアンマンの街中を走る列車に乗って、最高地点のカスル駅まで行き、そこからバスに乗り換えて、ビザンチン時代のモザイクタイルで有名なマダバの教会や、モーゼ終焉の地ネボ山への観光をして、最終日程を終えた。
 
     
この日朝8時前にアンマン駅に行くと、71号機は給水ポートでテンダーに水を満たす作業をしてしていた。石造りの2槽式の給水塔が見える。この機関車は1995年に訪ねた時には、庫の中に保管されていた。   71号機は暫くして構内西の方へ移動し、機関士がホースの水で足回りを洗っていた。
この機関車も蒸気と煙を上げる姿をこの日に初めて見た。
 
     
 
71号機関車は、ベルギーのアンヌ・サンピエール1955年製。フロントデッキとその下のカウキャッチャーが狭く、細長の顔立ちに大きなヘッドライトが、独特の雰囲気を持っている。
足回りは先輪1軸、動輪4軸、従輪1軸の構造。
  ヨルダン・ヒジャーズ鉄道の機関車は、ドイツと同じように足回りを赤く塗装しているが、これは点検の際に異常なクラックがあると、油がしみ込んで黒い線状になり発見しやすいという実用的な意味がある。
     
 
     
 
     
この日は朝9時に列車が出ると聞いていたが、9時前になってようやくツアー客を乗せたバスが到着して、それぞれ構内で撮影を始めていた。この日運転されるカスル駅までは11km余りしかなく、1ヶ所だけ撮影場所を選ぶとなれば、やはり十連橋にカメラを構えることになる。
駅構内で71号機が客車に連結したのを見届けてから、撮影地へ向かった。この日は23号機を撮影した時とは反対側の丘の上から狙うことにした。
随分待たされたので、途中でフォト・ランバイをやっていたのかもしれない。丘の陰から姿を現した列車は、真っ黒い煙を上げながら力強く上り勾配を走り抜けて行った。
ヒジャーズ鉄道の蒸機は、すべて重油専燃式だから、テンダーを上から見ても石炭の姿は見えない。テンダーに書かれた白い文字は、アラビア語の数字で71を示している。
 
 
     
上の撮影地点を過ぎると、線路は右へ急カーブしてトンネルに入り、その先でもと来た線路と平行になるぐらいの位置関係で勾配を登って行く。同じ撮影場所に立っていると、向こうの丘を今度は右に向かって走る列車の姿を見ることができる。   アンマンは街全体が強固な岩盤の上にあって、街の随所でこの写真のように垂直に岩を削ったままの場所が見られる。その上を通過した列車は、左に回り込んで姿を消していった。
蒸機ツアーの列車は、これが見納めだった。
 
     
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