ヨルダン ヒジャーズ鉄道(英国ツアー/ダラア行き)
イギリスの旅行社が企画し2010年9月に催行された「ヒジャーズ鉄道蒸機の旅」第2弾は、アンマン駅から北へ向かい、シリア国境を越えてダラア駅までを、日本車輛製の85号機が牽引した。2009年9月の同じ企画でも、85号機がこの列車を牽引したが、その時は途中に不通区間があったため、アンマンから20km 弱北方のザルカ駅までのみしか運転されず、ツアー客がバスで乗り継いだサムラ駅から先は、シリアから迎えに来た91号機が列車を牽引して行った。
今年は85号機がヨルダンの客車を従えてシリア国境を越え、ダラア駅まで約100kmの区間を牽引した。しかもツアー客のリクエストに応えて、途中何カ所かで撮影のためのフォトランバイを繰り返していた。
 
アンマンを出た列車は、途中ザルカとマフラックで停車して蒸機に水を補給するが、それ以外の場所でも撮影に適した場所に差し掛かるとツアー客の代表が機関士に連絡し、列車を止め乗客を降ろしてフォトランバイをやっていた。   この日はアンマン駅午前6時半発車ということだったので、それより前に行ってみたが、7時前になってもツアー客一行の姿は見えなかった。
7時頃にようやくツアー客が到着し、各自スーツケース等の荷物を転がして客車に積み込んでいた。85号機も給水ポートの方へ移動して給水を始めた。
 
     
7時半を過ぎた頃、ツアー客が並んで列車の方へカメラを向けていると思うと、85号機が列車を牽いて発車風景を見せてくれた。写真の右下にツアー客の影が見えている。一行の目の前を通過した辺りで列車は停止し、添乗員の掛け声のもと、ツアー客は一斉に客車に乗り込んで行った。   アンマン駅構内の北の外れには柵と扉があり、列車を運転する日以外は閉じている。石造の機関庫の横を通り過ぎた列車は、この時だけ開いた扉を抜けて、アンマン駅を出て行った。
85号機は1959年日本車輛製で、軸配置は先輪2軸、動輪3軸、従輪1軸の「パシフィック」形だ。
 
     
ザルカ駅の手前には線路に沿って市場のように店が並んでいる区間がある。滅多に列車が走ることのない線路だが今日は運転されるとあって、列車が来る少し前に係員が見回りに来て商品を線路から離して置くように注意して行った。
9時を過ぎてからようやく姿を見せた85号機は、汽笛を鳴らし続けながら店先を通過し踏切に差し掛かった。
  ザルカ駅で給水を終えた列車が、次のマフラックに向けて走って行く。
85号機は元々車輪や車体の一部の縁取りに赤い塗装をしていたが、この日はボイラ上の蒸気ドーム、ヘッドライトや手すり等を金色に化粧していた。
 
     
列車はマフラック手前のスグラのオメガカーブを通過する。2009年の運転時はシリアから来た91号機が牽引していた。   雄大な景色の中を、今年は日本車輛製の85号機がヨルダンヒジャーズ鉄道の客車を牽いて走り抜けて行った。
 
     
ところが、オメガカーブの途中で列車は減速し、やがて停車した。機関士とツアー客が話をしている声が聞こえてきた。どうもここでフォトランバイをやろうと提案しているようだ。確かに撮影に絶好の場所ではある。   列車がゆっくり前に動き出して乗客を降ろす場所まで移動する間に、車で移動して撮影ポイントを変えてみた。乗客を砂漠の中に降ろした列車がゆっくりとバック運転して、カーブの入口まで戻って行った。(機関車の右手遠くに客が見えている)
 
     
カーブの入り口までバック運転して停止した列車は、上り勾配のカーブをもう一度煙を上げて走行する姿を見せてくれた。   フォトランバイをやってくれたおかげで、この大カーブで同じ列車を2度撮影することができた。
 
     
フォトランバイの後は、降りて撮影している乗客を乗せるため、もう一度列車は停車することになる。この間に車で撮影ポイントを移動して列車が来るのを待つことができた。    
 
    左のショットの後、85号機が牽く列車は乾ききった風景の中、マフラックに向けて更に上り勾配区間を走って行った。
 
マフラック駅に到着した85号機    
     
    マフラック駅で給水タンク車から給水を受ける
 
     
この石橋を通過するとシリア国境まであと数kmだ   乗客の国境通過手続きをする場所はまだ先にあるが、鉄条網の柵が2重に立っているところを見れば、列車は既にシリア側を走っているのかもしれない。
 
     
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