ベルリン中心部にあるブランデンブルク門から 2km 程南のアンハルター貨物駅跡地に、技術博物館がある。交通機関だけでなくあらゆる分野を集めた科学博物館である。
1999年7月、ザクセン地方の蒸気機関車撮影旅行の最初に、この博物館を訪ねてみた。ドイツ東部へ行くにはフランクフルト空港駅からICE列車でドレスデン辺りへ向かうのが定番だが、この日はロンドンからベルリン行きの飛行機に乗り、テーゲル空港に降りた。博物館の鉄道展示エリアには、転車台を中心にした半円形の扇形庫が2棟あり、40輌以上の実物車輌が展示されていた。
50型のトップナンバーは1939年ヘンシェル社製。先輪1軸、動輪5軸の貨物列車用機関車であるこの形式は、1943年までに総数3164輌が製造された。
     
 
元プロイセン鉄道のT0型で1907というプレートを付けた機関車は、先輪1軸、動輪1軸という珍しい軸配置。動輪と同じぐらい大きな先輪の後ろにシリンダーがあり、1軸だけの動輪を駆動している。1883年ヘンシェル社製。
     
 
元プロイセン鉄道の急行旅客列車用機関車として1910年にデビューしたS10型機関車は、1925年からの統一ドイツ鉄道では17型(0番台)となった。先輪2軸に続く3軸の動輪は直径が1980mm。シリンダーは台枠の内側にも2本ある4気筒構造だ。展示されている8号機はボイラーの中の構造が見えるように左側がカットされていた。   軌間610mmというナローゲージ用のガーラット式機関車が展示されていた。水槽や石炭庫だけを載せた足回りを2組並べて、その間に橋渡すようにボイラーと運転室が載っている特殊構造だが、この機関車は南アフリカ鉄道で使われていたという。ドイツのハノーマーク社1928年製というから、里帰りしたのだろう。(ガーラット式についてはケニア鉄道博参照)
 
     
01型の1082号機が第2扇形庫に展示されていた。1940年製の3シリンダー式(1000番台)で、デビュー当時は流線形カバーを装備していたグループ。西独国鉄(DB)時代は012 082号だった。(012型についてはライネ機関区のページ参照)

直径2メートルの動輪の大きさは、身長170cm余の私の視線がこの位置になる。
 
 
     
第2扇形庫には52型が展示されていた。この機関車は50型とほぼ同等な性能の貨物用機関車であるが、1942〜1951年の間に6285輌が製造され、戦後も欧州各地で使われていた。戦時設計もあり、いくつかバリエーションがある。
日本の機関車の炭水車にも「船底テンダー」と言って底面が両サイドに向けて上がっている形のものがあるが、この52型ほど「船」の形をしたものは見たことがない。
 
     
この博物館のウェブサイト(リンク集参照)によると、第1扇形庫には1800年から1914年までの車輌、第2扇形庫には1918年から1980年までの車輌等が展示されている。
訪問時から既に10年経ていて、この間に5haに及ぶ敷地では整備が続けられてきたようで、最近では航空宇宙分野も含めて巨大な博物館になっている。

チャーリー・チェックポイント跡はベルリンが東西に分かれていた頃の道路の検問所があった場所で、ここより北側、ブランデンブルク門より東側が旧東ベルリン市域だった。
ブランデンブルク門の北東方向にSバーン(市内鉄道線)のフリードリッヒ通り駅がある。(東ベルリン時代の訪問記は「東ベルリン オスト駅」のページ参照)
    <CARTOGRAPHIA社 ベルリン市地図から加工>
 
     
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ドイツ ベルリン技術博物館