インドネシアの鉄道は、インドネシア鉄道株式会社が運営する1067mmゲージのネットワークで、首都ジャカルタがあるジャワ島では4千kmを越える路線で営業している。ジャワ島の面積は日本の本州の半分よりやや広い程度だ。
19世紀後半から建設が始まった鉄道の中には1435mmゲージの路線も一部で営業していたが、太平洋戦争による日本軍政下に全て1067mmゲージに統一された。
ジャワ島北海岸沿いのスマランの町から、南にあるジョグジャカルタに向かう鉄道は、かつて北の約30km区間が1435mm、残りの南の区間が1067mmゲージだったため、列車が直通できなかった。その乗換(積換)駅がアンバラワだった。
  スマランとジョグジャカルタを結ぶこの区間は廃止されてしまったが、1970年に当時のインドネシア国鉄がアンバラワの駅構内と駅舎を使って鉄道博物館を開設し、20輌以上の蒸機を静態保存している。1987年に一度来たことがあるが、24年ぶりの2011年10月に再度訪ねる機会があった。
 
     
静態保存されている機関車は全て屋外の短レール上に展示されていた。インドネシアの機関車の形式番号は日本と同じルールで、動輪の軸数をB、C等大文字のアルファベット、続く2桁で形式を表している。テンダー(炭水車)を持つ形式は50番台、テンダーのないタンク式は10番台になっている。   B52形は1908年から1913年までにドイツのハルトマン社が製造したもので、テンダー前部がキャブと一体となった独特のデザインになっている。日本では明治時代にイギリスから輸入した7850形がこんなデザインだったようだ。
ここで展示されているB52 01号機は1911年製。
 
 
 
   
動輪3軸を2組備えたマレー式のCC50形は、山岳地帯の急勾配区間で使用された大型機関車。スイスのWerkspoor社とSLM社で合計30輌が1927年から28年に製造された。   日本ではマレー式と言えば、丹那トンネル開通前まで東海道本線だった現在の御殿場線でC-C形が50輌以上使われていたが、インドネシアでは動輪4軸2組のD-D形も3形式合わせて30輌が活躍していたという。
 
 
 
 
   
大きな屋根の下にあるホームや建物はそのまま博物館の一部として活用されているが、訪ねた時は改修工事中で営業していなかった。、   閉館中のため入場料を払うこともなかったが、展示車両は屋外にあって自由に見ることが出来たし、館内の土産物店も通常通り営業していた。、
 
 
 
C51形は先輪2軸、動輪3軸の足回りで、イギリスのベイヤー・ピーコック社1912年製が10輌輸入された。
 
 
 
C54形も先輪2軸、動輪3軸の足回りだが、ドイツのハルトマン社とイギリスのベイヤー・ピーコック社とで1922年に合計19輌が製造され輸入された。
 
 
 
インドネシアのD51は、日本のD51と同じ先輪1軸、動輪4軸、従輪1軸の構造だが、こちらはドイツのハルトマン社で製造された10輌が1920年に輸入された。この形式の10輌は、もともとオスマン帝国のヒジャーズ鉄道がハルトマン社に発注したものであるが、第一次世界大戦でオスマン帝国支配下のダマスカスが陥落し、イギリス軍が制圧したため注文が宙に浮き、インドネシアに振り向けられたという経歴を持っている。
同一設計でヒジャーズ鉄道に納入された機関車12輌は、254〜265号機としてその後のシリア鉄道でも活躍し、今でも一部が保存されている。(シリアのヒジャーズ鉄道ヒジャーズ鉄道博物館 参照)
 
 

 
   
シリアのヒジャーズ鉄道で、貨物列車を牽く現役時代の260号機

インドネシアのD51形と同形機 (1993年1月19日撮影)
 
   
  アンバラワから南へジョグジャカルタへ向かう路線には、峠越えのためにラックレール式の区間があった。これは2本のレールの中央に歯車レールが敷かれ、機関車の歯車を噛み合わせて急勾配を登る特殊な構造だ。博物館の中に車軸とレールが展示されていた。

この博物館にはラック式の蒸機B25形が動態保存されていて、今でもチャーター列車がこのラックレール区間を旅客を乗せて走ることができる。 
 B25形には車軸を回転させるシリンダー1対の上に、ラック歯車を回すためのシリンダーとバルブギア1対が装備されている。
ラックレール区間はアンバラワ駅南方4.5kmのジャンブ駅から始まり、ベドノ駅までの約4.3km間で230mの標高差を登っていく。その先は下り勾配となり、2.1キロ先のグマワン駅で終わっていた。


 
 
元アンバラワ駅構内の東の端には庫があり、ディーゼル機関車や小型の車輛が留置されていた。B25 03号機はここで保管されている。この建物もリノベーション工事をしているようだ。
 
 
   
庫の反対側には同形機のB25 02号機が薪を積んだ状態で止まっていた。   庫の中ではB51 12号機の整備作業が進んでいた。この機関車は1902年ドイツのハノーマーク社製。リストアした後はチャーター列車を牽いて走るのだろうか。
 
 
   
博物館から庫の方へ行く途中では、転車台の設置工事が進んでいた。博物館全体を整備し直すらしい。   博物館の案内図。黒い数字で、展示されている蒸機の場所だけを示している。転車台や庫は左手の方向にある。
 
 
   
24年前に来た時と比べると、展示されている蒸機の場所は変わっていないが、通路や植栽などが良く整備されていた。   この博物館の改修事業が完了し、動態保存されている機関車の運転とも組み合わせた活気のある施設になる日が待ち遠しい。
 
     
アンバラワ鉄道博物館(2011年 その2)    
アンバラワ鉄道博物館(1987年)    
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インドネシア アンバラワ鉄道博物館 (2011年/その1)